2015年1月29日木曜日

見えてきたぞ!法人向け事業領域!

昨日はLOCAL GOOD YOKOHAMAという産官学民が協働で地域課題に取り組むための地域課題解決のためのダイアログに参加してきました。

これまで、team Open Yokohamaでのキャリアカフェ立ち上げに、お世話になった方々にお会いして、地域の課題について対話の場を持ち、また、新たな可能性が広がって来る予感!


これから、しばらくはウェルネスキャリア ラボとしての法人向け事業の主たる領域は、


地域の医療介護コミュニティになりそう!


そして、取り組むべきことは、

地域医療課題解決=医療専門職キャリア形成×医療・介護多職種チームづくり

になっていく予感がしている。


超高齢化社会を迎え、在宅医療・介護が必須になる中で、

・地域医療・介護の現場スタッフの専門職キャリアデザインの充実

・専門性をこえてコラボレーションできる人材の育成とワークプレイスの拡充。

・地域で医療・介護を提供しているスタッフの協業チームの質の向上

が喫緊の課題とも思える。


まさに、自分の問題意識と地域の課題がガチでマッチした感じ。


まさか、個人としてのキャリア課題と、孤独住民高齢化という地域課題、そして、在宅医療という医療課題が絡み合うとは・・・

そして、たまたまにしても、コーチングから始まるキャリア支援、イマジンヨコハマに始まる地域づくり、もともと医療関係者、

と全部に絡んできた!


偶然が必然になっているよう・・・


何か引き寄せられてここに至ったような・・・


そして、この世界に注力するためにも、ベースとなるコーチングやファシリテーションのテクノロジー
が必要なんだな~


さらに磨きをかけないとね。笑





2015年1月28日水曜日

【2月からのクライアント募集中!】

昨日の春めいた日差しはどこへやら、

今日は、すっかり、冬の風が吹く、肌寒い朝から始まりましたね。


でも、もうすぐ春はやってくる。

そんな、予感を感じてはいませんか?


そんな、春からの新しい年度のスタートに向けて、今のうちから準備をしておきたい。

この時期だからこそ、もう一度、自分の気持ち、やりたいことを整理しておきたい。

自分の気持ちが触れるものを感じて、そこから、やりたいことを作りだしたい!


そんな、気持ちになっている方、ぜひ、コーチングを受けてみませんか?


コーチングをうけることで、

自分の思っていること、今置かれている環境が、すっきりと整理でき、

さらに、次のステップに向けて自分のリソース(得意なこと、感性)を充実することが出来ます。

今のうちから、そういう自分を作っておくことで、春からいいスタートを切りましょう!

そう、プロ野球のキャンプインとおんなじ!



私こと、コーチヤス、小堺康弘のコーチングを受けた皆様からは、こんな感想を頂いています。


>最近は、何でも事務的にこなすことが増えて、もっと毎日の気持ちの変化や行動を大切にしなきゃと感じました。

>エネルギーの出具合?や、上を向いたり下を向いたり、と話の内容ではないところに注意を促していただいたところがとてもよかった。

>最初はこの知らない世界に入っていくの?というなんだか恐ろしい気持ちだったけれど、思い切って自分の知らない内面の世界を探求して、大事にしたいものを見つけることが出来た。
>自分の感情を味わいつくすのに数十分でできるということに驚き。心の中と向き合うので終わったあと、とてもスッキリとした解決感を得られる。

ただ今、起業に向けて、腕磨き中ということで、以下の割安なプランでご提供しています。


1.お試しセッション・・・無料約30分程度(対面、スカイプいずれも可です。)


2.継続セッション契約の場合・・・基本3ヶ月間契約、月40分×3回 1.5万円/月 (通常月3万円)
  (対面の場合は、現地までの交通費も請求させていただきます)


クライアント希望の方は、
私あてにfbのメッセージでご連絡ください。

2015年1月26日月曜日

「自分らしさ」って何よ!ってウチのにたずねられて・・・

名刺の裏側にウェルネスキャリア・ラボの理念とその事業紹介を盛り込み作り直してみました。


そして、ウチの女房にみてもらったんです。


以下がその裏面の文言・・・


ウェルネスキャリアとは?

自分らしいキャリアを歩むことで、個人がいきいきと健康な人生を送ること。

その実現に向け、ウェルネスキャリア・ラボは、以下の事業を実施します。


【個人向け】ウェルネスキャリア普及事業
パーソナル及びカップルコーチング、キャリアデザインワークショップ

【法人向け】ウェルネスワークプレイス開発事業
人材開発、組織開発ニーズに合わせたコンサルティング

【一般向け】ウェルネスキャリア・コミュニティ事業
ネットワーク、コミュニティづくりのためのサービス、セミナー


女房いわく・・・

「自分らしいって、何?わかるのかな?ピンとこないんじゃないの?」

私は・・・

「それを探求するためのサービスだからね。」

「でも、もっと、平易な言葉にしないとね・・・」

とのこと。


確かにそれはそうだろうけれど・・・、

やはり、自分らしいが何かを定義付けるのは難しい気がする。

自分らしさの表現は、人ぞれぞれ。



それをこれだ!と決めつけるほど、まだ、悟ってはいない。笑



コーチングでは、その人の過去の体験やありたい姿を描いたときに、どれだけ、自分の内的世界が、豊かになって自分自身がエネルギーに満ちていくか・・・


それは、ひとそれぞれが持っている固有の感覚であり、そのひとならではの”自分らしさ”なのだ。


それを存分なまでに探求することで、自分のありたい姿や将来像が感じられてくる。


人によっては、それが、映像で語られたり、体の感覚であったり、声のささやきや音楽だったりするんだ。


コーチは、その人にフィットする問いかけをすることで、存分にその感覚を味わってもらうことをサポートする。


たまに、言葉や声が響く人に対して、体の感覚ばかり聞いたりして、違和感を感じたりするけど、そこは一緒に感じたことをフィードバックしてもらいながら、場を創っていく過程なんだな。


そして、日常の忙しさにわすれていたり、気づいていない感覚をフルに味わってみたりしながら、自分らしいって何かを探求するんだ。


この自分らしさを感じることから、キャリアをデザインする。


そこから、歩み始める。


時に、厳しい局面であっても、

すぐに、その世界にいけなくとも、


コーチとして、心身ともに健康であるように支えていく。


それが、私のミッションだと思っている。


・・・女房には、そんなことを暑苦しく、つらつらと語るわけにもいかないものでね。



最近、私を見てて、「イキイキしてていいね!」って言ってもらうこともあるので、


きっと、感覚的にはわかってきているんだと思う。



女房どのも、最近、あれこれセミナーに通って勉強し始めるようになってきた。


これも、きっと、何かお互いに影響を及ぼしあっているからだよね。


きっと・・・笑


10年後、どんな夫婦になっているのか?


楽しみな気がするね。


2015年1月22日木曜日

人のキャリアを伺うことの妙味とは?

昨日は、朝活で、大崎にて、らくまんインタビューに初めて参加し、

夕方はteam Open Yokohama(通称 tOY)のメンバーで一緒に作っている、プチキャリアカフェを主催しました。


両者とも、ゲストスピーカーを招いて、その方のこれまでのキャリアの変遷や今後の夢などを伺うというもの。


いずれの会も、くしくもゲストは、自ら起業して活躍されている経営者の方でした。

私も・・・ただ今起業して会社を経営していこうと準備中の身。

非常に刺激のある一日でした。


お二人とも、規模の大きい小さいは別で、共通していたのは、長期ビジョンを持っていること。

また、それに向けて、具体的に取り組んでいる。


今回は、そこにずいぶん焦点が当たることになりました。


特に、夜のプチキャリで、

一通りのインタビューのあとに、長期的視点について、グループで対話をしたのだけれど、

個人事業主の方や、学生からは、長期といわれても、今、目の前のことで精一杯。

おっしゃることは、確かだけど・・・と、何か違和感のようなものを感じていたような・・・


ゲストの方は、60歳代で団塊の少し後の世代。

常に右肩上がりの時代に、会社も競争、自分も社内で競争しつつ、キャリアを歩んできている方。

今、自分で立ち上げた会社も、人口減少していくという新しい時代のパラダイムの中で、新たなビジネスモデルを構築して、成功し上場を目指したいという。


他方・・・

学生たちの感性としては、

上場を目指すことに、意義があるのか?

収益を上げることに意義があるのか?

むしろ、本質的に社会の課題に取り組むのなら、何も利益を上げるのではなく、儲からないからと誰も手を付けていないところに、手を差し伸べることにこそ、意味があるのではと考えているようだ。


我々世代が、おいしいところだけ食い散らかして、手を差し伸べていないところ。


「そこに手を差し伸べることにこそ、社会的な意義を感じる。
決して、お金にならなくても、それで困っている人を助けられればいい・・・。」


話していると、どうも、そのようなことを感じていると受け取ることができた。


最近、よく聞く、社会起業家(ソーシャルアントレプレナー)に魅力を感じるのだろう。



どちらが悪いということはない。


私などは、おおざっぱだから、表現の違いこそあれ、社会のために尽くしたいという願いは同根だと思っちゃう。


要は、それぞれが、見てきた世界、今見ている世界が、違っているだけの話。


でも、ややもすると、
そういった、お互いが信じるところの長期ビジョンや価値観を直接ぶつけ合うと、「あの人、何考えているの・・・!」って、お互い相いれないって形で断絶しちゃう。


このプチキャリでは、
ゲストスピーカーのこれまでのキャリアの話をじっくりと聞いたうえで、ダイアログを実施して、そこから感じたこと、生成してくるものをハーベストとして個々に持ち帰ってもらっています。


インタビューでは、
学生時代の「学ぶとはこういうことなのか!」とか、社会に出てからの「働くってこういう事なのか!」と思った時の原体験的なストーリーを伺っています。


そういった、体験から人は自分の仕事観や勝ちパターンを得ていく。


そんな当時の時代背景や、雰囲気、その時、本人が感じたことなども織り交ぜられることで、

自分達とは違う文脈の中で生ききたことへの理解や尊重の念が醸成されてくる。


たぶん、そのあたり、インタビュアーがしっかりと背景やその時の臨場感をフレーミングして聞いてあげた方がいいんだなー
(お~、書いてて自分への気づきがあった!)


そんな、尊重の雰囲気があったうえで、ワールドカフェを実施する。


そこに、ホンネで語り合える可能性がうまれる。


本来ならなかなか相いれないところから、それぞれが気づきやヒントを持ち帰ってもらえる場に変容し行くのかもしれない。


これからも、隔月になりますが、着実に続けてまいります。


また、ご案内しますので、team Open Yokohama(通称 tOY)の1プロジェクト、キャリアオープンヨコハマ(通称 cOY)のイベント、プチキャリに参加いただけると嬉しいです!

2015年1月20日火曜日

親の介護を覚悟する瞬間に・・・

ブログを書いていて、たまに会う友達から読んでますよ!って言われるととてもうれしいですね。

いいねって押していなくても、読んでいただけるだけで感謝です。


さらっと読めて、何か新しい視点を提供出来て、普段の生活に活かせたりしてもらえれば、何よりです。


最近、医療制度について、いろいろと調べてて、現状と今後の方向性について、アップデートしてるんですけど、私が現役MRとして、医療に関わっていた時から、さらに進化してきてることを実感しています。

また、逆に現場がまだまだついて行っていないことも。

今どきは、こんな状況なんだーと感心することが多い。


やはり、医療となると少子高齢化の進展による、医療費の増大をいかに抑えるか・・・

これに尽きるといっても過言ではありません。

まさに、地域の医療の受け皿を病院、療養施設を利用することから、いかに、在宅で介護と医療を可能にしていけるかにかかっているようです。


で・・・

ここで、何も制度の現状と課題を解説するのではなく、

むしろ、直接当事者として、実際に親の介護をやり終えた経験からお伝えしたいと思います。


もし、あなたが、いずれ介護する立場になるとして、

どんな、瞬間がそろそろかなあ~

と実感し、覚悟を決めるタイミングなのでしょうか?


そんな、実感をした経験をお伝えしたいと思います。

今になって思えば、その時、自分に何か(いわゆるシステム)が語りかけていた気がするのです。

だから、そのメッセージを受け取るアンテナを立てていてほしいと思っていて。


その時、受け取ったことで、母親が家で一人転倒したときに、ひょっとして・・・??

と、実家に寄ってみて事なきを得た、ということにつながっている気がするのです。


あくまで、第六感、感覚、センスの話なので、うまく、伝えられるか、ちょっと、自信が無いのですが、あえて、お伝えしてみたいと思います。


それは、まだ母が健在なころ、母と家からちょっと離れた駅で落ち合って、人との打ち合わせに行った時のことです。

その駅までは、自転車で20分くらいかかるのですが、得意げにまだ自転車にも乗れるぞ!

と元気そうに颯爽とやって来たのです。

本人は、得意げに乗ってきているのですが、私はその姿を駅前で見ていて、内心、とても穏やかな気持ちになれませんでした。


「本当に大丈夫なの?」


そんな、気持ちが湧いてきました。


そして、一緒に電車に乗って目的地に向かっていったのです。

平日の午後の下りの私鉄線、乗客はまばら、のどかな郊外に向かう各駅停車の電車に乗って二人で座ります。

「本当にもう・・・!無理して自転車なんか乗らないようにしないと・・・!転んだらどうすんの!」

いつも通りの説教めいた話を母にしていたのです。


そんなときに・・・、


ふぅ~と、今まで考えもしなかった不安な気持ちがよぎったのです。


「もしも、一人暮らしの中で、転倒したり、父親のように脳卒中なった時に、はたして私はこの人を守ることが出来るのだろうか?」


「ひょっとして、気づいたときには、手遅れなんてことになったらどうしよう。。。」


電車は、急行の通過をホームで待ち受け、静けさが漂っていて・・・

その静けさが余計に、その気持ちに私をとどまり続けさせ、何か熱いものがこみあげてきたのです。


まるで、何かが私を捕らえるように・・・


まばらな車両とはいえ、周りには初老のおじさんたちが、しずかに座っていて、こちらの会話がやけに停車した車両の中に響き渡ります。

私は、そのこみあげるものに対処するのが、精一杯になったのです。

人前で突然・・・、取り乱してはならないと思えば思うほど、さらに不安は募ります。



母は、そんな私の状況から何かを察したのか、ただ、私の中で起きている風情をみながら、穏やかに座っています。

わずかながら、微笑みすらたたえています。


すべてを悟るような姿を見て、なんとも言えず、そんな母がとても愛おしく思えたのです。

けっして、そんなことには、させたくない・・・。そんな気持ちが募ってきます。



「まあ・・・、何とかするよ。」


やっと、出てきた私の言葉がそれでした。


私は、一緒には住まないと決めていました。それはそれで覚悟の上です。


その中で、とにかくベストを尽くそうと・・・


でも、きっと、そんなことが起こりうるんだ。


あらためて、それを全身で感じ取り、不安に戦いたのです。



そして、やはり、あれ以上の言葉は、かけられなかったのです・・・




その後、3年くらいたったでしょうか?


日に日に衰えを見せていく母がいました。


胃がん全摘後、5年間再発せずに、元気でいたものの、5年間もったことで安心したのか、張り詰めていた気持ちが一気にきれ、思うように日々を過ごせなくなっていたのです。

毎週末、実家に行き世話をして、その間は介護ヘルパーの方に来てもらう日々。

そういった体制を作るだけでも大変な労力でした。

そして、朝晩、必ず電話をして、ちゃんと食べているか、薬を飲んでいるか確認するのがルーチンになっていたのです。

でも、母は電話に出るまで動くのもおっくうになっていたので、出ないで切るときもよくあったのです。


とある、10月の雨がしとしとと降る肌寒い夜、会社を出た私は、駅まで歩く傘の下、電話をかけます。


5、6回掛け直すも、全く出る気配がありません。


また、いつもの通り、長トイレに行っているんだろう。とも、思いましたが、何か嫌な予感がしたのです。

そして、家とは全く逆方向の実家に足を運んでみると・・・


台所で、目の周りに青あざつくって、倒れていたのです。

意識はあって、私を呼ぶのですが、右肩を強く打ちつけ、自力で起き上れ無くなっていたのです。


あの寒い雨の夜、「たぶん、元気だろう!」と実家に行かなかったら、どんなことになっていたか・・・


今思ってもゾッとします。



そして、やはり、あの時、あの電車の中で自分が何とかしなくては!

と覚悟した自分がいたから、実家に行くことにしたんだと今でも確信しています。




誰しも、経験できることではない、親の介護。



私は、その当時、本当に大変で辛かったけれど、無事に見送ることが出来たこと、そして、あの電車の中で味わったような、心と心のやり取りを母親と出来たことは、本当に幸せなことだったと今は思っています。


そして、あのガンコで一本気な母親が、衰えていく日々の中で、日に日に穏やかな仏の顔になっていき、うしろ髪ひく思いで、実家を後にする私にさえ、すべてを受け入れて、「ありがとう!」といってハグしあった日々は、甘美な体験であったとさえ思えてなりません。


働く世代として気持ち的にも、時間と労力的にも、なかなか、受け入れることが出来ない親の介護。

でも、きっと、その時が来たら、あなたにも、素直に受け入れる瞬間が訪れると思います。


そのメッセージ、キャッチしたら、しっかりと受け止めてね!


これも、いつかは・・・と、書きとめておきたかった大切な体験です。


少しでも参考になれば、うれしいです。

2015年1月19日月曜日

システムコーチングのシステムって何のこと?

昨日、センター試験から帰ってきた娘が、試験場になった大学のトイレにカルトへの勧誘に注意するように!とのポスターが貼ってあったと言っていた。


大学生にもなると、自分で物事を考えられるようになり、

今まで育っていくうえで、親や学校から無意識に受け入れていた価値観や行動様式への違和感を覚える。

そんな時期なるがゆえに、そこにカウンターを当てたような、誘いがかかると、コロッと入ってしまうのだろう。

特に、このくらいの世代は、純粋だから、本当に気を付けないと、抜き差しならなくなっちゃう。


「おまえも、気を付けるんだぞ!」なんて、受験真っ最中の娘をたしなめるのでした。


あっ・・・!、これって、全然、空気読んでないですね。(笑)


ところで・・・、
カルトっていえば、企業なども、

それぞれ独特の文化や価値観を持っており、カルトとは言わないまでも、
言わなくてもこういう時はこのように行動する!というような行動様式や、
判断するうえで大切にしたい価値観を共有している。

よく言う組織風土とか文化というもの。

入社したての頃は、新人だろうが、中途で入社しようが、その風土や価値観をいかに早く理解して、それにそって行動できるか、心を砕くことになる。



家庭を持つ時も、最初はたいへんだ。

それまで、自分が当たり前と思っていたルールや生活習慣が、お互いに良く見えるようになるので、互いの価値観や習慣をどこかですり合わせていかなければならない。
そして、それまで育った環境を踏まえるものの、全くあたらしい文化が芽吹いていく。




・・・そして、それが成熟していくると、無意識に組織や家庭のなかにある、ムードや空気感を感じ取って、それに沿って、行動を選択したり、言いたいことも飲み込んだりする。


あたかも、そこに目に見えない主が、我々のことを見ているかのように。


そして、そのメガネに沿うように、行動することを無意識だったり、ふっと、気配を感じて選択している。


皆さんは、それって、どんな風に感じ取ってるのかな~?


一時期、KYなんていって、空気を読めないやつのことを揶揄してましたね。


そういう、その場を支配している空気感や、ムード、声にならない声のことをシステムコーチングでは、「システム」といって、ある種、固有の人格として扱ってみているんです。


そして、そのシステムの声なき声を拾い上げたり、そのシステムから発せられる感情を感じ取る力をRSI(社会関係知性)といって、いわゆるIQ(知性)やEQ(感情知性)と同格の知性として扱っています。


そうなのです。


実は、システムコーチングという、人と人との関係性を扱うコーチングは、参加者それぞれに対してコーチがかかわるというのではなく、そのシステムを一個の個人と見立ててコーチングを行うのです。


ある種、システムコーチはこのシステムの声や感情に対して、RSIを使ってセンシングしていくのです。


そして、そのシステムを支配している、主流派の声だけでなく、その中にあるもっと微細な声なき声も、そのシステムの声として、同等にあつかうことで、システムを支配している感情のゆがみや偏りを緩和していくという役割も果たしていきます。



例えば、


「本当はこうなのに・・・」


と思っていても、主流派が支配している声に対して、抑圧されている声を拾っていくのです。
そういう声を拾うことで、そのシステム自身が、真に求めていることを明らかにする。



答えはそのシステムが持っていると考えるのです。



なんのこっちゃ?
なんて、思う方もいるかもしれませんが、これを大切に扱うことの重要性をこのコーチングを学ぶことで実感しています。


例えば、
夫婦というシステムに対してコーチングすることから、二人それぞれのキャリアをデザインする。

そうすると、今まで一人で描いていただけでは、すぐに行き詰ったかもしれないキャリアプランがより具体的に機能する可能性があると感じています。


今は、クライアントさんを募集しつつ、検証中ではありますが、とてもいい感触を得ています。


ワークライフバランスが声高に言われている中、ミドル以降、一人でキャリアを描いても限界があることは、自明の理かもしれません。


人生の中で、さまざまな役割をその時々で担いながら、キャリアを歩む必要があるからです。


でも、そこに夫婦のシステムの中にある願いが、明かされることで、障害を乗り越えていく勇気と真のパートナーを得られることとなるのです。


ただ今、多くの知見を得るために、無料の夫婦でのキャリアデザインセッションへのクライアントを募集しています。


ぜひ、ご興味のある方は、お声かけくださいね。よろしくお願い申し上げます。



2015年1月15日木曜日

映画「風立ちぬ」をプロセス指向心理学的に見ると・・・

「風たちぬ」を見た方はどんな感想を持たれたでしょうか?


二郎と菜穂子の純愛物語、あるいは、ゼロ戦の設計者の半生の物語、その背後にある戦争に突き進んだ日本という時代を生きた人々の物語。


映像の美しさ、時代背景へのリアルさ、など、作品の仕上がりのすばらしさだけでも十分満足できる映画。


私は、見終えた時に、モヤモヤとした違和感を覚え、結局、この映画は、宮崎駿氏は二郎、菜穂子を通して、何を伝えたかったのだろう?


むしろ、そんな好奇心が湧いてきた映画であり、原作を買ってみたり、本屋で堀越二郎を紹介する雑誌などを手に取りたくなる。


そんな、衝動に駆られる映画だった。


一方で、ひょっとすると、それまで、半かじりしていた、

プロセス指向心理学(POP)のドリーミングの枠組みでとらえると、堀越二郎という人間の生きざまを理解する上で、わかりやすいかも。

と思うようになりました。

そして、むしろ、まだ、聞きなれない人に、POPの基本的な枠組みであるドリーミングとその三つのレベルを理解するのに格好の題材なのではと思えるようになったのです。


私はPOPの専門家ではないので、用語の細かい解説などは、ここでは、簡略しつつ、1学習者として理解した見解から、風たちぬの主人公、二郎の見ている世界を紐解いてみるという試みをしてみたいと思います。

※未視聴の方で結末を知りたくない人は以降読まないでね!


結論から申し上げると、

「主人公、二郎は、日本が戦争に向かって突き進むという時代の中にあって、妻菜穂子に象徴される自分の追い求める”美しさ”を、自らの夢でもある美しい飛行機を戦闘機という形で設計し、夢を実現していく物語である。」
(この文の中に、後述するPOPの三つのレベルが表現されています。)

ということだ。


二郎は、そのことに一切ブレずにその自分を生き切り、ゼロ戦を完成させる。

菜穂子も、愛する二郎とまだ病気が進行していない美しい自分だけを見てもらように、二郎とともに生きることに、生きる意味を見出し、その役割を終えると密かに去っていく。

しかし、夢を実現させたその戦闘機は、多くの若者を戦地に送り出し、戻るとこはなく、たくさんの悲劇を生むことでもあったのだ。


美しさの裏にある、現実世界のはかなさが、一層、ふたりの残された「今」を生きようとする、その生きざまを引き立てている。



POPの概念では、人が見ている世界は三つのレベルに分けられるという。

・エッセンス・・・感覚的にしか語られないような、本質的な願いにつながるゆらぎ
・ドリーミング・・・その感覚的なものを言葉やイメージで膨らませた内的な世界、夢見る世界
・合意された現実・・・実際社会の枠組みやルール、役割の中で生かされているという現実


これが、この映画では、そのまま、きれいに描かれているという点が、興味深い。


私の三つのレベルからの解釈では、


エッセンスを象徴しているのが菜穂子であり、一度、飛行機設計に失敗し、失意の中の二郎は、その美しさに触れることで、再び、自分を取り戻し、自分がもっとも自分らしくいられる存在を得たことで、現実世界に舞い戻る。

映画でバルコニーで紙飛行機を飛ばして、菜穂子とやり取りをする姿は、まさに、二人がダンスをしているように、関係性を紡ぎだし、かけがえのない存在になっていく場面だ。
そこには、言葉はいらない。
まさにエッセンスレベルでセンシングしているのだ。


ドリーミングは、言わずもがなのイタリアの設計技師との夢の中でのやり取り。
彼との対話の中で、自分が飛行機の設計に携われるのかという悩みを打ち明け、そこで勇気づけられることで、飛行機の設計技師となることを決意する。

そして、その後も、たびたび、その夢の世界のなかで、イタリア人技師という相手を通して、自らの求める”美しい”飛行機の原型を収れんさせていく。


合意された現実は、軍が期待する海上を長駆できる軽量の戦闘機(二郎にとっては夢でもある美しい飛行機)を設計していくという利害が一致したという現実。
戦争がなかったら、二郎の夢は実現できなかったかもしれないという現実。

たとえ、そうであろうとも、決して、悩むことなく、そこに自分の夢を託し、設計にまい進する。



POPのいずれのレベルでも”美しさ”という軸から一切ぶれず、まさに自己一致し、自分らしくあること、それに支えられることで、自分の夢を実現する。



もし、仮にかつての自分が二郎だったら、
合意された現実の中で、設計する飛行機が殺人の道具になることについて、悩み、葛藤していることと思う。そして、これが本当に自分が求めているものなのか?
と、自分の希求することに懐疑的になり、”今”を生きることが出来ないような気がする。


一方、別の見方をすれば、
彼のように、どこまでも、自分の夢を追い求めることに純粋であることで、知らぬ間に周りが引き寄せられて、結果としてチャンスが生まれてくるということなのか?


今の世の中、この合意された現実の中を生きていかなければならない。
夢を追及していたら、食いつぶれてしまう。
だから、合意された現実レベルを淡々と生きていくんだ。


でも、そのなかあっても、
自分に起きてくる言葉にならない「ワクワクな感じ」「胸がキュンとする」という、突如、風が揺らぐようなエッセンスレベル。
「こうなるといいなー」と思い描いた夢やビジョンというドリーミングレベル。


どこか自分の中にあると思う。


普段、気づかなくても、無意識に持っているんだ。



「風たちぬ」という映画をここまで振り返ってみて、やはり、映画の冒頭のこの一言に尽きるのかもしれない。


「風たちぬ、いざ生きやめも」(ポール・ヴァレリー)


あなたにも、もし、今、風がたっているのなら、その風に乗って精一杯生きてみてはいかがだろうか?


参考:
「風たちぬ」のあらすじはこちら


2015年1月14日水曜日

外でセッションをする醍醐味って?

昨日は、天気がいいからと、外に出て、公園のベンチに座り、クライアントとスカイプでコーチングを実施しました。


とても、心地よい雰囲気のなかで、セッションをスタートできました。



クライアントからセッションの中身について開示してOK!との了解を得られたので、


外でやったことを題材に、コーチングの醍醐味やその可能性をお伝えできればと思っています。



実際にクライアントからは、セッション後にフィードバックをもらい、


  最初はこの知らない世界に入っていくの?

  というなんだか恐ろしい気持ちだったけれど、

  思い切って自分の知らない内面の世界を探求して、

  大事にしたいものを見つけることが出来た。


とのフィードバックを頂きました。


テーマは、
自分の中の見たくない嫌な部分、あるいは、向き合いたくない対象とあえて対峙して、自分の内面を探求していくというもの。


いわゆる、負の自分、ダークサイドの部分を探求するという、ちょっとヘビーなセッションとなりました。

専門的には、
CTIのコアクティブコーチングの文脈でいうところのプロセスコーチングへ舵を切ってのセッションです。


本人は、あるたとえを用いて、こちらに伝えてくれますが、何を対象として、語っているかは本人の中にあるので、それには、あまりこだわりません。


ただただ、そこに好奇心と直感レベルでの傾聴を使って感じたことを問いかけるのです。


クライアントが感じている自分の中の真実と向き合うことに、ただただ寄り添い、そこに居続けて感じることをより刻銘に感じられるよう問いかけていきます。


セッション中は、瞬時に起こっているところから、問いかけているので、あとから振り返ると大枠ではこんなプロセスだったと思いますが・・・


クライアントが負の世界に踏み込んだ時に返ってくる声のトーンや雰囲気を、コーチとして全身で感じたとき、何かライトな感触がありました。


クライアント自身はどうだったかはわからないのですが、伝わってくることは、意外とそこにいる自分を楽しんでいる感じ。


その時、自分はベンチに座っていたのですが、不思議と向きを変えて、陽の当たる側でなく、どちらかというとうす暗い側の林のほうを見ていたのです。


そして、風が林を通して、ザワザワとざわついてきたのです。


私の背中を押すように。


「もっと行けるよね。さらに中に入っていこうか!」


気づくと私は、クライアントにそのように声をかけていました。



クライアントにその負の部分に対して、さらに挑戦することを要望したのです。



そして、クライアントは冒頭の通り、思いもよらない感覚や自分のあり方を、そこに入ることで持ち帰り、日常の生活に活かしてみることになったのです。



たたえるべきは、クライアントのこの場で何かを得たいという本気度です。
それがこのセッションへ大きく貢献したと思います。


そして、コーチも100%以上の自分で関わることの大切さをあらためて実感したセッションでした。




コーチとクライアントが予定調和に陥ることってよくあります。


ここが底じゃないかと・・・


わかった気になってしまうのです。




知覚をフルに敏感にして、よりリソースフルな場にいることで、自分の100%の限界を超えることが出来たのです。




必要な事が、必要な時に起きている。




そんな立場に立って、その場に起きていることを活かしてみる。



この世が波で出来ているならば、あの時の林のざわめきも何か意味があるという立場に立ってそれを利用してみる。



まさにシンクロニシティ、共時性の世界を信じて使ってみる。



そんなダイナミックな世界がコーチングの世界でもあり、知らない自分に気づき、可能性の扉をひらくんです。


あくまで、これは、一つのケースであり、いろんなアプローチがあることもぜひ知っていただきたいと思います。



そして、コーチングはこのあたりまで扱うことができることで、個人が知っている限られた世界から解き放つ可能性を秘めていることにも、関心を持っていただければと思います


ぜひ、一緒に自分の内面の世界をじっくりと探求してみませんか?


コーチングセッションのプランについてはこちらを参考にしてください。

2015年1月11日日曜日

【ウェルネス・キャリア コーチング】お試しクライアント募集中です。(1~3月 限定)

現在、起業準備中につき、お試しキャンペーンを実施しています。



下記につき、1~3月限定ですので、気軽にお声かけ下さい!


1.お試しセッション・・・無料約30分程度(対面、スカイプいずれも可です。)


2.継続セッション契約の場合・・・基本3ヶ月間契約、月40分×3回 1.5万円/月 (通常月3万円)
  (対面の場合は、現地までの交通費も請求させていただきます。往復都内で約1300円)


以上を基本に以下のコースを設定しています。(まで、ご連絡ください。)




個人セッション

 1対1で対面もしくは、スカイプにて実施します。

 <こんな方にオススメ>
・新たなキャリアビジョンを模索したい。
・今のキャリアにおぼろげに不安を感じている。
・描くキャリアを歩む上で、壁にぶつかっている。
・家族や職場の関係が原因でキャリアに行き詰まりを感じる方
・キャリアを歩む上で健康面での不安を克服したい方


夫婦(カップル)セッション

 初めにご依頼主の方とご相談の上、最適なセッションをデザインします。
 お二人同時に基本対面セッションします。

 <こんな方にオススメ>
・一緒にこれからのキャリア、家族のあり方を描きたい。
・最近、パートナーが何を考えているかわからず不安に感じている。
・直接、互いに話すと言い合いになり、話し合いになりにくい。


2015年1月9日金曜日

関係性がキャリアに及ぼす影響の物語

組織であれ、家庭であれ、人と人との関係性がいろんなところに影響を及ぼしている。


ここのところ、その関係性がキャリアにも強く影響していて、個人だけを対象にキャリアデザインをお手伝いするより、影響を与え合っている相手も一緒に考えることも必要だと思っています。




そんなことを強く思わせるエピソードを紹介したいと思います。




父と娘の物語。


父が描いた夢を、娘が実現することで、お互いを苦しめあい、病んでしまうという物語。


その父は・・・

新潟の山奥の農家の長男としてうまれるも、親と折り合わず、百姓が嫌で、雪深い田舎を家出同然に飛び出す。


必ずや故郷に錦を!という志を胸に、台湾、名古屋、福岡と各地を転々としながら様々な職を得るも、手ごたえを得られず。


同郷でやはり田舎が嫌で、父と密かに約束を交わし、家出同然に飛び出して台湾に頼ってきた母との間に、その娘、長女と長男を生むが、その息子が3歳にして、台湾というなれない土地で、高熱に侵され病死するという憂き目にあう。


失意の中、終戦前に日本に帰国し、その後、もう一人次女を得るが、その青雲の志をどうやら出来のよさそうな、長女に託す長期プランを描いたようだ。


そのために娘に高いレベルの教育を施す。


その資金を稼ぐために10年以上にもおよぶ炭鉱掘りの仕事に耐え、母も郵便局の保険営業員として、生計を支える。


そして、同郷で東京で薬業卸をしている人からのアドバイスを得て、娘を薬剤師にして東京で薬局を開こうという事に。


娘も父の期待に応え、見事に薬科大に進む。まさに、一心同体、逆に言えば、似た者同士。


二人とも頑固者で、これと決めたら突き進むタイプなのです。


娘の薬科大卒業と同時に父は炭鉱堀をやめて退職し、東京の片隅に店舗を得て、晴れてその夢を実現する。


開業後、父はその経営が成り立つか心配。しかし、短気なおっさんが店に出ても返って商売にならず。


営業のうまい母と看板娘に任せるしかない。二人に年中無休を課して、本人は結局裏方に回る日々。


後に、その娘は、無休で働いたのは本当につらかったとよく漏らしていたものです。


その甲斐あってか、無休で地域に薬を提供し、時には夜分子供が熱を出したと裏戸をたたく方にパジャマ姿で薬を渡す姿勢が町内で受け入れられたのか、信頼を得てよく繁盛することに。


その父にしてみたら、本来であれば、まさに故郷に錦を飾った日々だったかもしれません。


しかしながら、結局、それは、経営主体をすべて娘が握ることとなり、父自身はなすすべを失うことでもあったのです。


寂しい隠居生活を余儀なくされ、気持ちがすさみ、荒れた晩年をおくり生涯を終える。


当時は、いつも、外でお酒を飲んできては、娘とケンカをして暴れていた。そんな姿ばかりを幼い孫は見ていたのです。



その娘は・・・


大学に行くと、これまで経験したことのない豊かな都市郊外の環境の中で、視野が広がっていきます。


娘が老いて、昔の思い出を聞き出すと、いつも、この大学のキャンパスの話をしていたものです。


実家の実情を知りつつも、親元を離れ、寮で一人暮らしをして、青春を謳歌し、慕い続けた師や友と語り合った日々は、彼女にとって、唯一の豊かな至高体験だったのです。


しかし、いつまでも、幸せな日々は続きません。


これまで、自分にかけてくれた親からの強い期待を裏切ることはできませんでした。


大学卒業後、慕い続けた大学の師と添い遂げたい想いをあきらめ、父に従い薬局を開局するのです。

本人にとっては、父に従うことに当時、相当の葛藤があったといいます。


実際にその大学の先生に相談していた模様・・・


どんな形がよかったのは、今となっては知る由もないですが、大学に助手として残るなりして、その先生と一緒になりたかったんだと思います。


しかし、卒業して、ちょっとは手習いに修業はしたものの、すぐに開局するとは、相当の度胸と言わざるを得ません。


しかし、それがかえって良かったのか、持ち前の行動力と直感で決める経営センスで、お店を切り盛りしていきます。


そして、婿養子を迎え、子供を3人。


結果的には、一般企業など組織での就業経験もなく、嫁として姑との軋轢を経験せず、父母の支えのもと、自分のやりたいようにやれた人生でした。


そのなんでもほぼ思い通り実現してきた、世間知らずの娘。まさに女帝の誕生です。


子育てを終え、両親を見送り、大方、その役割を終えて、ぽっかりと、心に大きな隙間が出来た時、


私がこれから為すべきことは何か?


と考え始めた瞬間に、


かつて、描いた夢、心の奥にしまって、ずっと犠牲にしていた果たされない夢が、


誇大な妄想となって、自らに復讐しはじめ、取りつかれたように動き始めるのです。


気付けば、無縁仏になっていた師の魂を収めようと思い定め、あらゆる画策を始めたのです。


とても、正気とは思えないけれど、自分の城で、ひとたび、思いこんだら、突き進むようにここまで歩んできたことも災いになります。


そして、気付けば、心の病になってしまっていたのです。


当時、本当に何をしでかすか・・・。


大事にならずに、無事にその生涯を終えられてよかったと思っています。





・・・ながながと、書いてしまいましたが、そうです。これは、私の祖父と母の物語です。




こののち、その娘、私の母は、心の病を抱えつつも、私の父を介護し見送り終えて、その介護疲れとその妄想への執着によって、胃がんとなり手術のため病院に行き、その時に心療内科にも見てもらい、精神安定剤をもらうようになるまで、その妄想の囚われの日々が続いたのです。



どうにも逃れられない関係が及ぼしたそれぞれのキャリア、それぞれの晩年の姿。



この二人の姿を思うたびに、


人として、自分らしいキャリアを歩んでほしい。


誰かの犠牲になり続けて何かをあきらめて生きていると、必ず、反動が来ると思う。


自分らしいキャリアから豊かで健康な晩年を迎えてほしいという願いが出てくるのです。




時代は戦前、戦後、戦後復興期から、高度成長期を経て、バブル後にまでおよぶ。


裸一貫で田舎を出て成功するために、お互いの犠牲なくしては、豊かにはなれなかった時代のなせるわざと言えなくもないでしょう。



「逃れられない関係性」がそれぞれのキャリアの達成感を毀損させ、かつ、たがいを傷つけ続けたというエピソード。




あなたも、誰かのキャリアや人生をコントロールしようとしていませんか?


あるいは、


あなた自身が、誰かのために犠牲になりすぎていませんか?




いずれにしろ、かならず、その周縁化した思いは、あなたに逆襲を仕掛けてきますよ。




最後に実家を片づけていたら、
祖母が小箱の奥にひっそりとしまっておいた台湾時代の唯一の家族の写真をつけて彼らの成仏を祈りたいと思います。

2015年1月8日木曜日

この世はすべて不確かな波でしかない?

昨年、システムコーチングを学んでいると、突然のように出てくる言葉、量子力学、波動関数。

なんでここで物理になるの?って感じがしてた。



参考書籍にプロセス指向心理学のグル、アーノルドミンデルの本があって、多少触れているけれたけど、どうにも、わかりにくい。



彼曰く、「その場にゆらいでいるわずかな傾向を捉えろ」とのこと。


そして、その傾向やゆらぎをフラートと呼んでいる。


このような波の集合体を人間は知覚で捉えて、都合よく構築され作られているのが、この世界だというのだ。


そして、このフラートを捉えることが、あらゆる行き詰りのブレークスルーやクリエイティブに繋がっているということのようだ。



その基礎理論が量子力学だというのだ。



実は、学生時代、薬科大学に通ってた関係で、

化学物質を合成していくうえでの理論を学ぶために

どうしても避けて通れない、物理化学をという恐ろしい教科があって、

その科目が2年から3年へ進むための超難関だったために、少しでも理解しようと

この量子力学について、ちょっとかじったことがある。


なので、ミンデル先生の言っていることの背景が、ちょっとだけ、分からないでもない。



自分の理解を言葉にすると、


「この世にある物質をどこまでの小さく割っていって、素粒子というこれ以上割れないくらい小さくすると、

それは、本当に物質なのか、

あるいは、波なのか確定できない。

よって、見方によっては、世界は波の集合体でしかない。」



よって・・・以降は、そういう見方にいったん立ってみようというレベルなんだけど、

そのまえまでの文章については、ハイデルベルグの不確定性の原理という、

れっきとした量子力学の理論を指している。



最近のスピリチュアル系の引き寄せの法則なんかも、この理論から、念ずれば必ず手に入るという解釈を展開しているようです。

結構、人気を呼んでる本ですね。(参考図書:こうして、思考は現実化する



自分としては、

あの難解だった量子力学の理論が実生活に活かせるような方法論に展開されるなんて、当時は想像もつかなかった。


今でも、なんだか感慨深く感じてしまう。


なぜなら、量子力学がどうしてもわからなくて、知りたくて、当時、購入したブルーバックスの入門書で、一番衝撃を受けたのが、この不確定性の原理の話だったから。


そのくだりに行くまでは、どうしても冗長かつ難解だったのだけれど、以下の部分は今でもすごく印象に残っている。



・・・不確定性の原理の説明のために用いた究極の実験として、

仮に微粒子の大きさを測ろうと、箱にその微粒子を一個だけ入れる。

素粒子レベルになると、明るいとあまりに小さいので見えなくて、一つの波としてしか捉えられない。

そのため、真っ暗にして測ろうとする。でも暗いと大きさは測れない。


つまり、二律背反の状況に陥ってしまい、暗いと大きさは測れず、光を当てたとたん、光と同化して波長としてしかとらえられなくなっちゃう。

という事なんです!


そうすると、よく物理の世界でみた、

原子のまわりを電子が一つの軌道を回っているという模型図はありえなくて、

電子は原子の周りを波のように揺らいでいるだけで、その軌道は確率的にそこを描くだろう確率の高さでしかない。

ということなのだ。


そう、この世は、すべて、光の波で出来ている・・・


にわかには、信じられない世界なのですが、

その視点に立って、知覚を全開にすると、固定概念にとらわれずに見えてくるものがあったり、

今までにない気づきが起こせるかもしれないね。


そういえば、古くから、仏教の世界でも色即是空といってた。



実家の本はすべて片づけたので、どんな本だったか、怪しいのですが、参考までに当時、読んだであろう、図書を紹介しますね。

今は、もっとわかりやすく説明した本がたくさんあると思います。参考まで

量子力学の世界


2015年1月7日水曜日

キャリアは一人のものか?

自分らしさを発揮できるキャリアを考えよう!


その自分が自分を活かしている、活かされている感覚をもって仕事をしよう!


それについて、あきらめずに探求を続けよう!


そういう自分に正直であれ!


そうしたら、心も体も健全でいられるにちがいないし、きっと、死ぬときに後悔しない人生が送れる。




・・・これ、私の持論なのです。



そして、最近、関係性のコーチング、システムコーチングを学ぶ中、


さらに、加えて、一人でキャリアを描くだけでなく、さらなる、工夫が求められている気がしてる。



人は、人の間にいてこそ「人間」なんだもんね。



家族、地域、そして、会社や職場という関係性やコミュニティの中に生きている。

互いに影響しあって、世の中、出来上がっている。



とすると、そもそも、一人だけでキャリアデザインを考えることって、どれだけ意味があるのだろうか?



世は、少子高齢化のなか、男女共同参画する社会、ワークライブバランス、持続可能な社会の実現には地域での共生、などなど。


それらがより求められてくる時代だ。





個人で良かれと思って描いたキャリアプランも、家に持ち帰ってパートナーや親に話をしたらいきなり却下されちゃったりして。笑


そして、何よりも、視野が狭くなりがちだ。お互いに・・・


一昨日に、伝統芸能の世襲性の話から、「逃れられない関係性」という言い方をしたけれど、

現代の家族関係から考えるに、よりよりキャリアをお互いに描ける余地は十分にあると思う。



むしろ、身近な共同生活者と一緒にお互いのキャリアを考えたほうが、

よりハッピーなキャリアが描けるのではないだろうか?





そんな、想いに共感していただける方、いらっしゃったら、ぜひ、私までメッセージくださいね。


一緒にパートナーとゆったりとした雰囲気でキャリアを考える場を提供できたらと思います。




もちろん、個人でも、パートナーとでも、無料のお試しコーチングセッション、

その他、起業準備中のため、今だけ、割安な3か月コースもご用意しています!



お気軽にお問い合わせくださいね!



2015年1月6日火曜日

ファントムメナスを感じる

いつものように、朝、緑道を歩いていたら、重く垂れこめたどんよりとした空をぬるい風が吹き抜けてきた。



それに呼応するかのように、道沿いの木々がざわざわとそよぐ。

今にも雨が降るよと予告するかのように。



こんな、空間を歩いていると、得も言われぬ不安感がよぎったりする。



それは、スターウォーズエピソード1の「ファントム・メナス」の意味するところの「みえざる脅威」にも似ている。

ジワリジワリとフォースのダークサイドに覆われていくように、人の心に忍び込んでくる。




きっと、こんな風の音や空気感といったかすかな傾向が、人に不安や恐れを誘い込むんだ。


そんな、不安感や恐れに全身が覆いつくされたとしたら、体のどこになにを感じるのだろうか?


それが、顔の表情やふるまい、声のトーンに無意識に表現されていたとしたら、どんな風に見えるだろうか?


そして、それが無意識・無自覚に発揮されたとしたら、周りにどんな影響を及ぼすだろうか?




こんな、具体的な行動として伝えにくい、スキルに落とし込めない振る舞いや態度、

つまり、その人から表出される心的態度のことを「メタスキル」っていうらしい。




今日の天候からの揺らぎ、伝わってきたこと感じとって、

それを意識的、意図的に使うか使わないかを選択できたらいいな~



ときには、こんな、どんよりした雰囲気がいい意味、チームの前進につながるかもしれないしね。

2015年1月5日月曜日

関係性がキャリアを拓く?

あけましておめでとうございます!

本年も、ぼちぼちつづっていきますので、引き続きごひいきいただきたくお願い申し上げます。



今日は、キャリア発達に関する第三の理論だと、言わんばかりにあえて展開してみます。笑



自分のキャリアを拓くためのアプローチ、

1.やりたいこと,出来ること,求められることを押さえ、キャリアプランを立て、ステップを踏んで進む。

2.計画は立てず、偶発的におきる機会を捉えて、キャリアを積む。


どちらが正しいというのではなく、

実際は、1をしつつも、実際に動くとそんなに計画的に行かず、2の視点も大切にして、探求していく。

そんなところではないだろうか?


大学受験でもそうだし、就活もそうだ。

本当に思い描いたとおりに大学に入れたり、企業に入社できることは、ごく少数で、

結局、ご縁があったところで、前向きにとらえ、自分なりにそれに意味を見出していく。


めでたし、めでたし。



・・・・・となれば、いいのですが、


必ずしも、行った先で思い描くような仕事につけず、見込み違いと悩むことってある。

期待とはミスマッチな役割を上司から任されたり、職場の雰囲気が悪かったりして、苦しい思いになったりね。



・・・昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」をみていて、ふと、思ったのだけれど、

どうにも「逃れようのない関係性」の中から切り拓くキャリアというのもあるのではないか?

と思ったりする。


後の吉田松陰こと、寅次郎は、

長州藩の山鹿流兵法指南役の家督を継がなければならない、

という逃れようのないキャリアパスの中にあって、

世の中の変化の中、どう生きるべきか悩んでいた。


まあ、次週のドラマ予告のように、脱藩ということで、自らの道を開くのだが、

伝統芸能の世界では、世襲と決められていて、逃れられない関係性の中で、

自らのキャリアを切り拓く人も多くいる。


むしろ、その道の一流の人は、その道を乗り越えたからこそ、

一流とみられ世間もそこに美学を感じたりする。


世にいう、守・破・離の世界だ。


もう少し、この親と子、師匠と弟子、あるいは、短期的であっても成立する上司と部下という、

逃れられない関係性の中で、どんな、願いや夢が紐解かれることが、守破離につながるのか?


その中に、これまでにない、創造性が備わったらいかに素晴らしいものになるのだろうか?

はたして、今の時代のスピード感では、ありえないのだろうか?



日本発ならではの、組織の中でのキャリア発達理論があってもいいんじゃない?



なんて、新春からドリーミングしてます。笑