2014年12月30日火曜日

ウェルネス・キャリア実現への想い⑦

すっかり、世の中は年末年始モードですね。

私も週末は家族とゆっくりした時間を取らせていただきました。


さて、前回からの続きです。


・・・・

普通はここまで考えないで、そのまま、与えられた環境でベストを尽くすというのがいいですよね。


下手にこうあるべき!という思いこみが、執着になって苦しくしてしまう。



 本当に自分のやりたいことを貫くのなら、会社をやめて、コーチとして独立してもよかったのかもしれません。


でも、この企業内での教育分野について学べば学ぶほど、未熟さは募るばかり、とても、独立するなんて当時は自信がありませんでした。


家庭では子供二人がちょうど育ちざかり、住宅ローンもかかえ、そして、実家は家業の薬局を廃業して、老いゆく母親が実家で一人暮らしをしており、そちらへの手当てもしなければなりません。


折からは、リーマンショックが起き、世の中のお寒い状況を目の当たりにします。


そこで、私は自分の成長のためのステップと位置づけ、人の育成にかかわるプロとしてのスキルアップを目指して、社内で多くの経験を積む期間として、仕事に専念することにしました。


考えてみれば、MRという営業と社内での企画スタッフは、まったく異なる職種であり、それは、企画スタッフとしての相当のセンスと人の育成への気持ちが無いと務まりません。


そのことに気づかせてもらった当時のメンバーには本当にお世話になったと思います。


4月の10日間の泊まり込みの新人研修やマネジャー研修の企画やグループ会社への人材開発に関するコンサルティングとその後の研修講師としての実践。


本当に忙しい日々でもあり、本当に多くの学びを得ることができました。


メンターともいえるすばらしき先輩方からの心のこもった指導やフィードバック。

そして、新人研修時の夜遅くまでの打ち合わせや、新人たちと交わした交流は、本当に懐かしい日々でした。



・・・でも、



そんな、会社での日々の裏側で、やはり、自分本来のミッションについても、あきらめないで活動を続けていきました。


もし、あのとき、すっかり、会社人間としてのみ生きていたら、おそらく、今回、独立しようなどと考えることは無かったと思います。



それは、コーチング的な関わりとしての市民としての活動でした。

いわば、複数の人を扱うコーチングとも、いえるかもですが、市民ファシリテーターとしての活動です。



市民ファシリテーターとしての活動は、

当初、CTIでコーチングを学ぶ地元メンバーで作った勉強会グループ「都筑青葉コーチングクラブ」から始まる地域での一連の活動です。

私が05年ころに地域でコーチングの勉強会をしようと声をかけて集まった集まりです。

ここでの活動がやがて「イマジンヨコハマ」→「team Open Yokohama」→「キャリア オープン ヨコハマ」でのキャリアカフェという活動に包含され、発展していきます。



この後も、こういった市民活動での学びや、仕事が変わってからの学び、母親を介護していく中での芳醇な学びなどもシェアしていければと思いますが、いったん、まとめたいと思います。



ここで、お伝えしたいウェルネスキャリアへの想いは、

1.コーチングやキャリアデザインを通して、本当にやりたいことが見出せる。

2.その実現が難しい場合でも、あきらめずに、その場その場に専念して、そこから学んでいくこと。

3.必要があれば、家庭、職場に加えて「サードプレイス」としての自分を発揮できる場を見出して、自分のミッションをつなげていく。

4.でも、どうしても、やりたいことを保留する選択をすることってある。その時は、心と体への最大限のケアをしてほしい!


人は社会の中で生きる生き物。

さまざまな事情を抱え、周囲からの期待役割を担いながら、でも、本当の自分らしさや自分の目指すことをあきらめない。


あきらめないで、気持ちも活動もつないでいくと、必ず、チャンスを訪れる!


そう信じてほしいと思います。


そして、そういった悩める時、苦しい選択をした時でも、コーチとして、健康増進に関わるファーマシストとして、両面から支えていくことをこれからのミッションとしていきたいと思います。


これにて、第一章の終了です。


以降は、私の仕事、市民活動、就職支援活動、介護の体験の中からの学びやキャリアデザインのあり方への考え方などをアップしていきますね。


これからも、よろしくお願いします!


2014年12月26日金曜日

ちょっと、一休み①

ぐりぐりと、過去を振り返るのもいいけど、なんか、息苦しくなるね。


過去をアーカイブして、次のステップに向けた足がかりにするのとは別に・・・




今、トライしていること。



それは、僕のリソースの一つ、ケヤキが教えてくれたこと。


風にそよぐ、木々のざわめきの音や肌に感じる風、そして、きらめく太陽の光。


そんな、空間の中で揺らいでいる波のような傾向を感じてみること。




言葉にはなかなかできない感覚。




五感を全開にして、今を感じてみる。




この世は、すべて、粒子でなく、波で出来ていると量子力学の世界にゆだねてみる。


そう、たいがい自分が見たいように見て、都合よく解釈しているんだ。




カフェで流れるゆるいジャジーな音色、

コーヒーマシンがコーヒー豆を挽くガーッという圧力音、

お店の応対の声、

足早にお店の前を歩く、右から左に流れていくような通勤の人たち、

正月の準備で忙しそうな向いのお店の店員の姿・・・



一体、宇宙は、今この瞬間に何をセッションしようとしているのか?



勝手な解釈をすててみて、純粋にその奏でる波にゆだねると、何を感じて何が見えるのか?



言葉にしなくてもいい。



ただ、感覚で受けとってみる。




・・・日々の営みの中で何かが、問いかける。


それが、自分の可能性のほんの一部でしかないとしたら、


自分の受け取っている感覚のチャンネルを拡げてフル稼働したら、


一体、どんな可能性が広がっているのだろう?




大いなる波動に身をゆだねたとき、


昨日のイライラ、今日のチャレンジが、おだやかなゆらぎにすら見えてくる。



今日もまた一歩、前に進みましょっか!

2014年12月25日木曜日

ウェルネス・キャリア実現への想い⑥

気づけば、第6回となりました。

少し、脱線というか、ここ2回ほどはコーチングを学んだことからの実体験についてお話しました。


日がたつとある意味客観視出来て、語れる部分もありましたが、しっかりと整理もしておきたかったのでいい機会だったのかもしれません。


私的には、こういう経験があったからこそ、


社内でコーチングの文化をもっと浸透させたいという気持ちで、人材開発部門に行くことに自分の可能性を感じ、夢を膨らませていたといえるでしょう。


さて、そろそろ、その次のフェーズについて、進めないとですね。


ただし、ここから先の話は、自分自身の内面的には、まだ、客観視しきれていない気がしていて、困難さも伴うので、おおざっぱになるかもしれないことをお許しください。


私が人材開発部門で一から仕事を学び始めてまもなく、会社が合併する事になりました。


そんな、会社が大きく舵をきって行く中で、自分が企画スタッフとして学んでいく間もなく、どんどんと周りの環境が変わっていくことに。


一からいろはを教えてもらえる状況でもない中、自分も気負っていたのかもしれません。
MBAの知識も学んだし、コーチングについては、先達者たらんとしていたもんですから。


けっして、わかった気にならない。初心わすれるべからず。

という素直な姿勢も忘れて、相当、生意気になっていたと言えるでしょう。


でも、そんなことも合併という変革期には必要なのかもしれませんね。


コーチングの資格を取ろうとしたのも、この変化の時期に生き残るために、何か自分の能力を資格として見える化しようと思ったからかもしれません。


そして、自分は、この会社の中で、コーチングのもたらす人の可能性を引き出す関わりを広める、せっかくの機会を得ることができた、このチャンスに精一杯活かそうと。


事実、当時は企業におけるマネジャー研修でコーチングスキルを導入することが、ちょうど、流行真っ盛りな時期で、合併後の新社においても、同様に導入が検討されていたのです。



しかし、本当に自分のやりたいことと、与えられた期待役割はマッチしていたのか?



「自分らしくあって、そこから仕事をすることができれば、イキイキと健康でいられる!」

という、自分の願いが叶えられるためにコーチングの導入をやれていたか?



というと、今思えば、やはり、そこには、言葉尻で、コーチングという表現で一致していたかに見えましたが、違うものを「それだ!」と言い聞かせて、追い求めていたのかもしれません。


自分の成功体験が、どうしても、執着となって、こうあるべきだと判断をしているようでした。


研修プログラムが物足りない気がして、どうにかしたいのだけれども、どうしようもない。


自分が得てきたようにコーチングを実践するには、講習時間が圧倒的に足りないし、そこまでコーチングを学びたくて来ているわけでもない多忙なマネジャーに強要すべきことでもない。


では、何か代替案を提案できたかというと、まだ、企画スタッフとしては、未熟でもあり、提案しきれない。


今、冷静に思うと、もっと、上司やメンバーに。自分の思っていることを話して、企業で求められるコーチングのあり方や導入方法について、意見交換しておけばよかったのかもしれません。


でも、当時の関係性は、合併というプロセスを経て、そうとうギクシャクしていたように思う。
それは、もう誰のせいでもなく、時代のなせる業かもしれません。


そう、みんな、精一杯生きていたんだ。


それにしても、未熟感というのは、恐ろしいもので、自分の想いがままならず、苦悩しているときに、さらに、それが、自分が未熟のためと思った瞬間から、ネジが逆回転し始めたのです。。。


続く・・・


なんか、このくだり書いてて、苦しいっす。でも、ここからが正念場なんです。

なんとか、耐性をもち、病にならずに今ここにこうしていられるのも、この間のさまざまな方とのご縁があったからこそです。

そんな、復活への物語が続きます。

いい時の話ばかりじゃない、苦しい時期を体験しているからこそ、今、心から同じような苦しい選択をしている人を応援したいのです。


それこそが、ウェルネス・キャリアを歩むことの真髄かと。

いつでも、コーチングや悩み相談、お声かけくださいね!


2014年12月24日水曜日

ウェルネス・キャリア実現への想い⑤

さてさて、コーチングの営業の現場で、どのように活かしたのかを書いています。


エピソードその2

チームメンバーの一人の彼(Aさんとしましょう)は、中途入社して入ってきた優秀な営業マン。

放っておいても、自分で何とかして結果を出してくる頼もしい男でした。


来て、まもなく、私のチームで歓迎会をしたときも、早くなじもうと、イッキ飲みをみんなに要求されて、ここは負けじと、思いっきり飲んで、前後不覚になり、タクシーで家まで送って行ったツワモノでした。

意外とこういうとき、自分をさらけ出すと、すぐに仲間に入れたりしますよね。

「あの時は、本当にお世話になり、ありがとうございました」

などと、後に、よく笑い話になったものです。




そんな、Aさんですが・・・

担当先の質にもよるので、一概に彼が悪いわけではないのですが、

チームで結果を出す事に、あまり関心はなく、われ関せずの姿勢。



でも、当時は、チーム間の競争が激しく、結果を出すために、

どうしても、Aさんのコミットが必要でした。

毎月の月末になって、チームの成果をまとめる段階でも、

自分は関係ないと、知らんふりをするような素振り。



その態度に他のチームメンバーは、総スカン状態、

「リーダー、お願いしますよ!

Aさんがあんな態度で関係ない姿勢を取られては、とても、我々はコミットできません。

なんとか、Aさんに言っていただけますか?」

そんな突き上げを若手から、いただくことに。



意を決した私は、彼と話をすることにしました。



でも、その前によくよく考えてみる。

「どうしたら、心からチームに貢献してくれるだろうか?」

「自分がAさんの立場なら、どう言われたら、いいかなあ?いやかなあ?」

と、


自分がその立場で説得されて、一番嫌なのは、

「周りから言われているから・・・」

「上からの要請だから、どうしようもない。だから、なんとかお願い~」

という、立場で話したり、他人のせいにして、話されること。



自分の言葉で、彼のことを本当に思って伝えるとしたら、どんなことを伝えたいか?



たぶん、キャリアという言葉をそんなに知らなかったのですが、

その時は、彼のこれから歩むキャリアを考えた時に、

この周囲との協働することをどう考えたらいいか?

今の姿をずっとやっていたら、彼自身の評価はどうなっていき、

その結果キャリアはどうなっていくか?



そんなことを念頭に何か伝えられればと思い、

たしか、自分のコーチにもコーチングセッションでも取り扱ってもらい、

自分中で整理したうえで、Aさんに対面で話があると声を掛けたのです。



案の上、彼も言われるのを察していたのか、防衛姿勢に!


得意先に行かなくてはいけないので、後で電話くださいと、そっけない。



そして、その後の電話でのやりとりが、大変だったんです!



そのはなしを持ちかけた時点で、

非常に弁の立つAさんからの防御的なマシンガントークが炸裂するのです。笑

当時、彼も相当社内で自信をつけ、成績もよく、社内の状況も見て取れていたので、

私のマネジメントについても、メンバーに対し及び腰とみて、そうとう冷やかに批判的になっていたのでしょう。

その私のことを、
まあ、よくぞここまであげつらえるものだと感心せずにはいられないくらい、ボロクソに言ってくるではありませんか。

自分のことを悪く言われて気持ちいいわけありません。
途中、何度頭にきて、怒りをぶちまけようかと、思ったことでしょう。

そうとう、かっか来てたのは確かです。


でも、その時、私はどこかで、そんな、Aさんの懸命に自分を守ろうとする姿にある種の愛らしさを感じていたのかもしれません。
(ここはある種、コーチングの全体的傾聴の実践ともいえるのですが)

そして、途中から、どんなに言われても、聞き流そうと腹をくくり、ムラムラくる気持ちを何とか抑えながら、ひたすら聞いていました。
(これも、コーチングの自己管理の賜物!)

たぶん、30分以上続いてたと思います。マシンガン攻撃。



でも、人って、言いたいことがあっても、そうそう、続くもんではありません。

とうとう、疲れ果てたのか、ネタが切れたのか、彼のトークが収まり始めたのです。

すこし、空気が冷めた感じに。



そこで、一言彼に

「僕のことは、どうでもいいんだよ。 ただ、伝えたかったのは、

今のような姿勢でいることを続けていって、お前の将来にとって、それがどう影響していくか、それを心配してさ。

この会社で、ずっと、仕事したいんだろ!リーダーとしてマネジメントもしたいんだろ!

数字だけじゃないとこで、5年後、10年後、どうお前が見られていくか、考えてみてはどうだろう?」


そんなことを言ったと思う。



相手は、電話の向こうでポカーンとしている感じ。

「あんなにクソミソけなしたのに、一体、こいつは何を言っているのか?」と、

飲み込めない状態だったのかも。



でも、しばらく、唸っているうちに、どうやら、こちらの想いが伝わったのか、

少しづつ、歩み寄りを見せてきて、自分なりにやってみますとの前向きな回答を得られることに。



ほっと、肩をなでおろした瞬間でした。



実は、この一件、単にその月末のアクションの改善にとどまらなかったのです。



なんと、それ以降の彼の私への態度が100%変わってきたのです。



それまでは、マイペースでいた彼が、今度は私をサポートするようになったのです。

チーム会議などでも、私の口下手な説明をさらに他の若手メンバーに噛み砕いて説明してくれたり、積極的にアイデアを会議で出してくれたりと、それまでとはうって変ったように。


彼は彼なりに、言われたことを受け取って、自分として、チームに何が出来るかを考えたようです。


そして、私のチーム運営をさらに盤石にするために、貢献するようになりました。

彼と私の間で、真の信頼関係が築かれたのです。



それ以降、さらにチームは一つにまとまっていき、非常に明るく元気のいい、お互いに意見を言い合えるチームになっていき、それが、結果的にはエピソードその1にも影響することに。



あの電話での一件、

1対1でガチンコで向き合う、きびしい修羅場ではありましたが、

大いなる変容を彼にも、私にも、そして、チームにも、もたらすことになったのです。


ここで得た学びを今振り返ると、、

どうしても、誰かに厳しい要請やフィードバックをするときは、立場ややらされ感でなく、その人のことを思って、真摯に向き合う。

そして、炎の上に立ち続ける勇気を持つ

という事でしょうか。


私はチームリーダーとして、コーチングを実践することで、得難い経験をすることが出来たし、本当に当時のメンバーそれぞれに感謝したい気持ちでいっぱいです。


単にコーチングのスキルではなく、相手と関わるあり方として、

相手の信じぬくこと、愛してやまないこと。

これなくして、コーチングは現場では活かせない。



そんな、思いや信念を持つようになったのです。



さてさて、

自分として、個人として、信念を持つことは、いいことですが、

時に、それが、執着となってしまっては、行けないのでしょう。



その後は、企画者側に立ち、その真髄ともいえる信念を、伝えることの難しさが、

異動後の私にとっては、困難なことだったのかもしれません。


続く・・・


やはり、ここまで書いてみて、この事例、システムコーチング的には、

二人を相手に行うアライメントコーチングをコーチ側とクライアント側掛け持ちでやってた

とも、いえるかもしれません。

当時、知っていれば、違う手も打てたかも。


ということで、

部下、メンバーとの葛藤や対立をお持ちの方、無料でご相談に乗りますよ!

メッセージお待ちしています!


2014年12月23日火曜日

ウェルネス・キャリア実現への想い④

コーチングとの出会いとそこからの気づきについて、お話をしていますが、


このまま、次の部署での自分の気づきや歩みを直線的に進めたいという気持ちと、

コーチングによるクライアント的な気づきとは別のコーチングを実施する側としての効用について、

話しておきたいという気持ちがあります。



コーチングの効用について、

想い出深いのは営業現場での二つの象徴的な体験と、家族、特に今は亡き、母親との対話についてのお話があります。前者は比較的整理できてるけど、後者はいろいろと想いが出てきそうでまとめられるか、ちょっと不安だあ。



やはり、営業現場での効果について、触れておきたいな~!ちょっと、脱線しますが、お付き合いください!



自分自身の経験上、結論としては、

コーチングはチームの活性化、部下のモチベーション向上に対して効果があると断言できます。

ただし、コーチ側のあり方を間違えなければ!


単にマネジャーのスキルとして、テクニカルに使われた日には、きょうびのビジネスマンはすぐにまた、コーチングスキルか~、と操作感を持たれ引かれてしまうでしょう。


そのあり方のエッセンスとしては、
 本気で部下の成長のためにやること、
  ・それを定期的に、
  ・かつ、時にガチンコで関わる。


この二点をそれぞれ事例として、私のエピソードを紹介しますね。


背景:
当時、私は4人のチーム員を持っており、あるエリアのチームリーダー兼プレーヤーとして、責任を負う立場にありました。ただし、メンバーの評価には直接かかわらないという立場でした。


ある程度、自由度の高いチーム運営を任されるものの、営業数字へのプレッシャーは常にあり、毎月、同じ支店内のチーム間での競争の中で成果を上げることに苦慮する状況でした。


メンバーは中堅の男性MR2人(一人は中途入社)と新人男女2名の計4名、それぞれ、個性的なメンバーでしたが、その強みを発揮して、最終的にはいい評価も得ることが出来ました。


しかし、チームリーダーになった当初は、それぞれの個性がそれぞれに動いただけで、個人の結果にはこだわりを見せても、チームとして結果を出すことには、まったく、関心がなく、かみ合わない状況でした。


エピソードその1

そこで、さっそく、学んできたばかりのコーチングを導入しようと、当初は、小手先で動機づけしようとそれっぽい問いを投げるも、忙しい現場でオープンクエスチョンしても、あまり、効果がありませんでした。


それで、一念発起して、毎月全員に対してそれぞれ30分間のコーチング面談を実施したのです。異動するまで1年以上続けたと思います。


何か現場の問題を解決するためというよりは、ひたすら、彼らの仕事に対する、思いや営業スタイルや価値観、よかった体験、悩んでいることなどなどをゆったりと聴く時間としてです。


そんなことをひたすら聞いてあげる「彼らのため」の時間を取ったのです。


それゆえ、それぞれに内容は異なりましたが、個々の良さや魅力を堪能できたのです。


扱いにくいと思っていた中堅のメンバーに対しても、よくその気持ちを聞くと、自分には無い良さを感じることができ、それまでには無かった、尊重の気持ちが生れてきたのです。


そうこうしているうちに、チーム間のコミュニケーションが良くなり、普段でも、現場でこんな声が出ていますとか、こうした方がいいんじゃないですかといった意見が出やすい環境になってきたのです。


そんな月末のある日、
その月のキャンペーン品目でチーム間のコンテストがあり、あと、ちょっとでトップを取れそうな状況に。最終的に見込めそうな数字を乗せこみ、他チームの状況を鑑み、電卓をはじいて、


「あと、○○万円売上あげればいけるかな~」


と、チームメンバーの前で一言、つぶやいたのです。


でも、もうすでに、精一杯やれるとこまで実施した状況なので、私はあえてチームメンバーにその数字を割り振ったり、命令することはしなかったのです。


100%彼らを信じて、尊重している立場で無理強いできるわけがない。。。
そんな甘ちゃんなリーダーでもあったのです。(笑)


翌々日でしょうか、さて、結局、あのキャンペーンどうなったかな~?と実績を見てみたら、何と予測以上に売りが上がって、


見事トップの成績に!


一体何が起きたのか?


あわてて、その先の担当者に電話して聞いてみると、
その2年目になった新人の彼と私がちょっと苦手と思っていた中堅社員が一緒になって、その得意先に赴き、


「これだけあと買ってください!」


と頭を下げてお願いしたというのです!



そういえば、私があの日、「あと、なんぼ!」とつぶやいた後に、その二人が目を合わせて、すっと消えていったことを思い出しました。


あれから、二人でお願いに行ってくれていたのです。


彼ら二人が帰ってからですが、お礼を言ったときだと思いますが、その中堅社員から


「いつも話を聞いてくれるリーダーに言われたら、応えないと・・・」


なんていう、うれしい言葉を返してくるではありませんか!


さっそく、チームで祝勝会も行い、互いの努力をたたえあいましたが、そのあと、部署を離れてからも、当時のメンバーとはよく飲みに行く想い出深いメンバーです。


ここでの学びは、普段からのコミュニケーション、特に面談という場で、しっかりと彼らと向き合うことの大切さを学びました。


そして、その場では評価目線でなく、100%彼らの話を尊重して聞いてあげること。
その関係性があれば、急場のチャンスも乗り越えられる力が引き出せるのだと。


この経験は、チームリーダーとしての自分なりのスタイルを固め、大いに自信を深めた経験でもありました。




しかし、ここに至る前に、もう一つのエピソードがありました。


それは、もう一人の中途で入ってきた中堅社員との体験。


彼とは、そんな生半可なことではいかなかったのです。


彼とはガチンコで向き合うことに。。。




そういえば、しばらく会ってない。元気かなあ~



エピソードその2続く・・・



書いてみておもったけど、
今、学んでいるシステムコーチングを知っていたら、もっと苦労なくこのチームを作れていたかもと思う。


チームビルディングに悩んでいる方、無料相談に乗りますよ~!

2014年12月22日月曜日

ウェルネス・キャリア実現への想い③

前回は、コーチングとの出会いに至るまでの探索のお話ししました。

要約すると、
人生は一度きり、病気になったり、倒れたりしてからでは、手遅れ。
だから、自分が本当にやりたいことは何かを見つける旅に出て、コーチングと出会った。
・・・ということになりますか。

今回は、では、なぜ、コーチングが自分にとって、「これだ!」

と思えたのかをお話ししたいと思います。


一言でいうと、コーチングを体験することで、

本当に自分らしくあることに気づけ、それを体現していると、とても健全で、病気とは無縁な境地である。

と、思えたことだと思う。


そんな、100%自分らしさが尊重されている状態で、自分のキャリアを歩むことが出来たら、

少なくとも、それに向かって、今を生きるのであれば、

たとえ、病気になっても、自らを管理して、目的のために、体と相談しながら、あきらめない人生を生き切れる。

そして、決して、後悔しない生き方が出来ると思えたから。




その考えに至るうえで、当時、自分の中に、医療に間接的に携わる立場として、課題意識があったと思う。


それは、MRとして、医療機関を訪問して、医師と面接して、治療についての問題点を聞く機会をたくさん持っていたからだ。

どちらかというと、MRとして、単に自社の薬を使ってもらうためにだけ、行動するというより、どうやって医師の診療上の悩みを解決するかという視点で接していたように思う。

そんな、同じ目標意識をもって、何か提案ができないか、お手伝いできないかと、薬の紹介に絡めて面会をしていた。


先生曰く、
「いやあ、いくら、口を酸っぱくして、生活習慣の指導をしても、患者さんは、なかなか、聞いてもらえなくてね。
高脂血症や高血圧について、自覚も少ないし、支払う医療費もバカにならないしね。結局、コントロールもいい加減になりがちだよね。」
という言葉をよく聞いていた。

そんな、話を聞くと、何とも父親のことを言われているようで、

何とか、そういうことの無いように、患者さんに少しでも病気について、理解して、生活を改善できるための指導用の資材などを持参しながら、すこしでも役に立てればと訪問していた。



しかし、何ともやるせない、手遅れな気持ち。

「なってからでは、遅いんだ!」

という思いが、湧き上がってくる。



そんな、思いに悩むような時期に、ちょうどCTIのコーチングのワークショップに通うことに。

自分の中にある、未来にありたいの自分の姿をイメージしたり、自分が自分らしくあった輝くような
体験などをセッションの中で振り返る。

すると、自分はいままで、どれだけ、周りの目や評価ばかりを気にして、いい子ちゃんになろうとしていたことか!
リスクばかりを気にして、「あれはダメ、これはダメ、こうしなくては生きていけない!」
と自分に抑制をかけていたに存在によって、すっかり、コントロールされていたのだ。


ワークショップのリーダーからの
「このコントロールされた世界をずーっと生きていたらどうなっちゃうの?」
的なことをいわれ、暗黒の世界にずっと暮らすような自分を見出す。

どうにもエネルギーが上がってこない。


この世のシステムは、常にストレスがつきもの。
好きでもない仕事をし続けなければ生きてはいけない。

それが世の中だ。その現実を受け止めて、
生活する上で安心安全のために、本当の自分の上に着ぐるみを着る。

誰にも見られないように、そっとビルドスーツに身を固め、
自分の弱みを見透かされないように日々を送る。

仕事の中に自分自身が活かされているという実感を見出せず、
ただ、組織や上司のめがねに適うように自分を合わせて生きていく。

でも、いつしか、その闇に葬られた本当の自分の願いが、心身に向けて反撃をし始めるんだ。

そうして、世の中にはうつ病や生活習慣病、ガンの患者が増えていくのに違いない。



そんな、想いとこの暗黒の世界を味わう経験がシンクロしていたのだろう。



そして、本当に自分が「今、生きている」という実感を味わいつくす経験をワークショップの中で体感した時、この感覚に全く偽りがないという気持ちになったのだ。



そうか!


こんな自分を生き切ろうとするキャリアを歩めば、
決して、不健康になり、病気に陥ることは無いんじゃないだろうか!


そんな、自分らしい生き方を見出し、その自分で、この厳しい現実世界をあきらめないで生きていくことを支援する。それによって、病気になる人を少しでも無くすことに自分はコミットしたい!


そうような思いから、いつしか、会社の中で希望する職種として、人材開発部門と書き、その中で、社員のキャリア自立支援という形で、実現できればと希望を出していた。


でも、当時は、そうとう、社内的には危機的転機にいたので、
はたして、希望する職種に行けるとも思えず、

この後、転勤して、どこに行ったとしても、MRという着ぐるみを着つつも、自分の内なるミッションは、関わる人が少しでも自分の生きる意味を見出して、イキイキと生きれるよう支援しようと思ったのです。


内なるミッション、
「自分は本当は何のために生きるか」という問いに、ようやく、答えを見出した時・・・
純粋に自分着ぐるみを手放し、本当の自分を受け入れ始めた時・・・

思いもしなかった人事部人材開発グループに転勤が決まったのでした。



・・・でも、本当の本当は、その時すでにコーチとして独立したいという自分がいたのです。

そして、欲求と実際に人材開発部門に行ったこととの狭間で葛藤する日々がその後続きます。



その、葛藤の日々こそが、真にウェルネスキャリアという考えを浸透させたい思いにもつながってくるのです。


まだ、続けていいですかね。笑




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個別メッセージをお待ちしています!


2014年12月20日土曜日

ウェルネス・キャリア実現への想い②

何となく、これから自分のキャリアについて語るのかあ~と思うと急に手が止まるものなのですね。笑

でも、書くにあたり、図らずも、シリーズ的に展開するとしても、あくまで、ウェルネスキャリアということへの言及のためのもの!
と心にとどめておきたい。

父親が退職時に倒れたという原体験のことを書きましたが、他にも身内でキャリア観に影響を受けた約2名の共依存な関係性についても話さないと次に進めない気もしています。


そうなんです。


この二人の関係性から生まれてしまった彼らの未完了なものを成仏させるためにも、このウェルネス・キャリアという考えをもっと広められたらとも思っているのです。


これは、あくまでパーソナルな課題ではあるのですが。
でも、きっと事業継承について、同じように苦しんでいる方がきっといて、そこにも触れておきたい。


そんなに身内のことを書くのもなあ~という気もしていながら、なんだかんだで書こうとしている私って何??な感じです。笑


たぶん、自分の探求を始めてからの話をすると、きっと、彼らがゴーストとして、見えてくると思うので、このまま、私の探求を開始した30代後半について触れていきます。



(ここから前回からの続き)


正直、本当にどこまで、自分が何をしたいのか?という問いをもって、学びの門をたたき始めたかというと、そうでもなく、

これからミドルに向かうにあたって、マネジメントを勉強しておいた方があとあといいかもしれない・・・

という功利的な気持ちが強かったような気がします。



でも、何か傾向というか、背中を押されるというか、何かしなきゃ・・・!という気持ちがあって、そうとう思い切って、全く知らない世界の門をたたいたような気がします。


そして、その根っこに、父親の姿があったのだと思います。


通い始めたのが、グロービスマネジメントスクール。


3か月ごとに、クリティカルシンキング、人的資本管理(HRM)、マーケティング、アカウンティング、ファイナンス、経営戦略などなど、一通り10クラス以上を気づくと取っていました。

あまり自分の専門領域に関係のないアカウンティングやファイナンスまで取って、単なる研修オタク、学びのコレクター状態に陥っていました。

当時、他の受講者に言っていたのは、論理的思考がなかなかできないから、種々のケーススタディーを通して、論理的思考力を鍛えて、スキルアップしたい。と答えていたような気がします。

確かに新たな世界が開けてくるような気がして、とても刺激的な日々が続きました。
経営の枠組み、見方、考え方を学び、その醍醐味をケースを通して実感出来て、子供が遊び盛りの中、あまり、遊んであげられなかったのは、辛かったけれど、仕事をしながら、週末や平日の夜に懸命に通い、レポートを提出する日々に、充実感を覚えたものです。

でも、会社からの派遣でもなく、自分で大金を払って通っている中で、会社で選抜されて来る優秀な受講者と交流すると、彼らの優秀さがよくわかる。



他方、MRとしての仕事の方も、結構多忙のなか、ますます、成果を問われる様になるものの、グロービスでMBAについて学び、頭でっかちになっているために、どうにも、その方針に対してしっくり来ない自分がいたりして、批判的になったり、仕事に身が入らなくなったりして来る始末。


得意先ともトラブルを招いてしまうことに!


本当に扱いにくい社員になっちゃってた。




ついでに、実家からも、そろそろ、戻って薬局をやってほしいような声がちらほら。

でも、すっかり、母親は介護一本の状態で、お店は閑古鳥。
世はドラッグストアと調剤薬局の2極化が進み、パパママ薬局はどうみても将来性はなく、加えて、私の家族が合流するには、その他にも多くの困難があったのです。

(この困難さについては、コーチングの段でお話することになるかも・・・たぶん)

当時、本当に実家には近づかないようにしていた。

そこに戻ることを受けいれられず、反発していたのだ。




そして、ますます、自分が一体何をしたいのか、わからなくなる一方になったのです。




そんな、さなかに受講したのが、グロービスの組織行動学であり、それを学ぶ中で、コーチングという存在に出会う事になりました。




これにはピン!とくるものがあり、当時、チームリーダーで4人のメンバーの面倒を見る立場になっていた私は、MBA科目のなかで、唯一、現場に使えて、成果につながるのものと思ったのです。


まあ、ここでも、その動機は部下をいかにその気にさせるか?という下心があったのは確かです。


いまでも、当時の組織行動学を受講したメンバーとは、年2回程度飲みに行き、彼らの順調に出世する姿を横目に、こちらはいろいろと悩みを相談しあえる仲間です。


そんな、メンバーの一人に某大手化学品会社の人事部の方がいて、その人から、コーチングを勉強するのなら、ぜひ、「部下を伸ばすコーチング」という本を読むといいよ!と教えてくれたのです。


それがCTI(コーチ養成機関)との出会いでした。


そして、このコーチングを学び始めたことと、まるで、連動するかのように、通い始めて約1年程度たった秋に会社でも人事部人材開発グループへと異動することとなったのです。



当時、39歳、ちょっと遅まきの自分にとっては劇的なキャリアチェンジとなったのです。


これで私のキャリアも念願が叶い、順風な40代を迎えられるものと思っていたのですが…



続く・・・

2014年12月18日木曜日

ウェルネス・キャリア実現への想い①

昨日のコーチングフェローズでのコーチングの練習会で、ウィルネスキャリアという考え方について、コーチ役に話をしながら、なぜ、それを実現したいのかあらためて考えてみた。


いろんな体験が多層的に起きて、それがきっかけで、そこに至るのだけれど、


やっぱり、原体験的に大きかったのは、父親が退職一週間前に脳卒中で倒れたことにある。


以後、リハビリをしようにも心臓がすでに高血圧で肥大してへばっており、過度な負荷は不整脈を誘発するからと、全く社会復帰できずに、6年間に及ぶ介護の後に最期を遂げたことにあると思う。


その間の母親の介護への負担は大きく、実家の生活は一変し、介護中心の生活を余儀なくされたのだ。


父親が倒れるという、一つの事態から、それまで、幸せそうにあちらこちら山歩きを楽しみながら、シニアライフを過ごしてきた我が実家の両親の生活が一変してしまったのだ。


当時は、製薬会社のMRをして、日夜、高血圧薬や不整脈薬、急性心不全治療薬などを医師に紹介していたので、相当量の治療の知識があった。

なんで、こんなになるまで、放っていたのか、ちゃんと病状を把握してアドバイスしておけばよかったと、自分を責めたり、薬剤師である母親にもずいぶんきついことを言ったような気がする。



・・・父親のキャリアは、特に前半は本当に苦労の連続であった。

中学に進んだころに両親を失い、実家の兄弟は7人、その3人目の次男となれば、勉強することもままならず、すぐに工場に働きに出ることに。
それでも、自分は法律家になりたいとの夢を持ち、定時制高校に通い、苦労の末、東京に出てきて、働きながら、夜学にて大学を卒業し、何とか裁判所の仕事にありつくも、どうにも、その日暮らしの日々を続け、借金まみれとなり、もうだめだ、故郷の熊本に帰ろうとした矢先に、薬剤師で薬局を開局したばかりの母親と運命的な出会いをして、その家の養子になることでようやく生活が安定し、裁判所の書記官となる。

しかし、ここで終わらず、自分の志を貫き、40歳前にして再度司法試験に挑戦を始めるのだ。
当時、小学生だったけれど、それ以降、就業後に勉強会に通い、家でもお酒は控え、毎日勉強をしている姿は、今でも忘れられない。

結局、司法試験には何度かトライしたものの、受かることは無かったのだけれど、その努力と気さくな人柄が認められ、引き上げてくれる人脈にも恵まれ、40歳後半に簡易裁判所の判事となったのだ。

まさに、その努力の甲斐があって、見事に故郷に錦を飾ることに。

本当に父親を誇らしく思えた日々だった。

その後は、各地の簡易裁判所を2年~3年ごとに勤務し、行った先で仕事、趣味にと充実した日々を送れていたのだ。

しかし、やはり、判事という仕事は、責任もあり負荷もかかったのだろう。
また、加えてIT化の波の中、パソコンのスキルに全く追いつけず、居心地の悪い中、窓際に追いやられて行くことも実感していくことに。
時代の変化のスピードが変わってくる潮目に家族には言えない苦労もあったのではないか。

それが、体を蝕んでいたに違いない。


60半ばにして、本当に最期の勤務地にあえて行く必要があったのか?


いつまでも、仕事をしている姿を期待し、追いつめていたのではないか。
・・・今は知るべくもない。



私は、30歳半ばにこのような父親の姿を見たことで、沸々と自分の人生のあり方について、想いを寄せるようになっていた。



薬剤師の免許をとり、製薬会社の営業パーソンとして、それなりのキャリアを積んできており、家族もでき、何不自由ない生活を送れていた。

しかし、あれだけ、老後はあれをやりたい、これをやりたいと楽しみにしていたのに、何も実現できず、車いすで生活する父親の姿を見て・・・



人生、いつ何がおきるかわからない。


自分は本当にこの仕事をすることを一生続けていきたいのか?



そんな、問いがいつしか、自分の中に芽生えだした。


そう、ちょうど、父親が勉強に一念発起する年齢になってきていたのだ。


私は、その年、横浜に転勤になり、翌年から、私は自分自身、本当に何をしたいのかの探求のフェーズに入り、さまざまなことを学ぶ中からコーチングというものに出会ったのだ。


続く・・・

ただいま、30分無料コーチングセッション実施中!
メッセージお待ちしてます。

2014年12月17日水曜日

team Open Yokohamaのプチキャリ打ち合わせ


昨日は、冷たい雨の中、横浜駅西口でteam Open Yokohamaでの活動の一つ、キャリアオープンヨコハマユニットの主催するプチキャリアカフェの打ち合わせ。

次回1月21日のゲストスピーカーの方のキャリアをお伺いしました。

内容については、改めてプチキャリの案内でご紹介したいと思います。


毎回、ゲストスピーカーの方にお話を伺うと、自分の中で瞬間、混乱が起きて、すぐにインタビュー内容から次回のゲスト紹介のアップに進めない自分がいて。

そんな時は、感じたことのプロセスをいったん整理するうえで、このような場所が必要なのだろうと思います。


team Open Yokohama(略称:tOY=トイ)への参加した経緯は、過去の古いブログを見ていただければと思います。

今でも、懐かしい、思えば一歩違う世界に踏み出した瞬間でした。



さてさて、本題に戻すと…

今回のインタビューでお会いした方は、同じ会社でずっと活躍するのでなく、10年単位で仕事を変えることで、どんどんまさにキャリアアップしていかれ、数々の要職につかれ、最後は自ら起業も果たすという方でした。

会社でも、いわゆる理想の足跡を残し、さらに、自らそこに居座ることをよしとせず、さらに、在職中からコツコツと起業の準備を進めて、機が熟したと同時に退職して起業するという…

まさに私の真逆な感じ!

ずっと同じ会社にい続け、40歳のころには起業したい欲求は芽生えていたものの、家庭の事情などから、会社に我慢してとどまったこの10年間。
そして、やっと起業できるタイミングの時期になった時には、すっかり、スキルも人脈も薄れかかっていた。

まあ、そんな中からスタートして、これから起業しようというところに、
「今どきは、思いつきや勢いで起業する人が多くて、それでは厳しいと思う。」
的な発言を聞くと、どこかで一般論なのに、自分に言われているみたいで、どこか言い訳モードなったりして。笑

これまでのtOYでのキャリアカフェの中では、むしろ、生々しく今を生きている人のキャリアを聞くことが多かったので、なかなか聞かれないほどのサクセスストーリー。


そうなんだよね。
やはり、比較してしまうと、モヤモヤしてくるんだ。
こうやって書いてみるとよくわかる。

こんな自分で当日の司会進行とインタビューを人前でできる?
毎回、多かれ少なかれ、そんなモードに一旦、入っちゃうんだよね。

またまた、エッジフィギアの登場か!

ちょっと、このエッジを越えて、そのフィギアを自らに統合するためにインナーワークをしてみるとしよう。




「この葛藤に目的があるとしたら、どんな願いがあるのだろうか?」

・・・あのケヤキとつながってみる。



その風にそよぐざわめきを波のように、昨日の彼の話の声の波長と合わせてみる。


強くあおられて、聞こえるざわざわとしたざわめきの後に、引き潮のような凪がある。


その凪のように、彼のある意味、過去の強みを誇張する言葉の裏にまだ語られない、しかし、言葉の端々に聞こえてくる、起業後の苦労や苦悩のようなものが、見え隠れしてくる。


彼はすでに60を迎えた経営者でもあり、様々な重職についている方だ。


そして、これまで人を引っ張る立場の人として、決して弱みを見せては、来なかった方だろう。




そんな、クールなタフガイの物語なのだ!




そんな、凪いだ風の気持ちで彼の立場を感じてみると、我々若輩な世代へ、なんと暖かくも、厳しいメッセージを出してくれている方なのか…

何ともいえない愛おしさに包まれ、リスペクトが生れてくる。



「この広い宇宙の中のヨコハマという地に、世界は、私と彼をなぜ出会わせたのでしょうか?」



きっと、そこにはここに必要なことが起きていて、ただ、それに気づけばいい。

出来たら、その出会った場で!!



そんな、自戒も含みながらのインナーワーク終了。



次回の打ち合わせでは、事前にインナーワークしてから行こっと。笑

2014年12月16日火曜日

システムコーチングの実践に向けて

システムコーチング、応用コースが修了して、2日目、いろいろと、このツールを使ってやってみたいことに思いをめぐらせてみた。

学んだことを自ら実践していける可能性をたくさん感じる状況。


一つはNPO的な活動をしているグループへのコーチング

こういったグループは、スタート当時は盛り上がるのだけど、その後に停滞することが、多々あるように思う。

あるいは、お互いのことをよくわからないままに、NPOを立ち上げて、すれ違いの中で活動が進み、あとで大きな痛手をこうむるという可能性だってあるかもしれない。

そういった、グループに向けて、そのグループのシステムがどうなっているのか、いろんな手法を使って明らかにすることで、さらに前進することを支援できる気がする。


二つ目はやはり企業や法人組織に対してのコーチング、

ここは、先方の組織の課題が何かでアプローチはいろいろとあるけれど、プロジェクトがスタートするにあたって、システムコーチングがそのチームにかかわることで、お互いの目線が定まり、効率的な運営が可能になるだろう。

また、直接、その会社の役員メンバーへのコーチング、部門長、マネジャーレベルへのコーチング、なども、背景や文脈設定によっては可能だろう。その場合は、集め方としては研修という名目で企画する可能性もある。

そういう場合は、入念に対象に事前インタビューやアンケート、組織診断のアセスメントなども求められてくる。

いずれにしても、会社がどのようなステージにいるか、成長期か、成熟期か、変革期かで大きくその見立ても違ってくるだろうし、それによって、手法も異なってくるだろう。


三つ目は家族やカップル
私は、今回、宿題で実際にコーチングする相手は、ほとんどNPOメンバーか会社のメンバーだったけど、特に夫婦や家族にかかわることで、なかなか言い出せないことや、お互いに気づいていない共通の願いが、明らかにされたりする。

これもまた、やってみたいアプローチだ。


個人がウィルネスキャリアを実現するためにコーチングやコンサルタントとして、これから関わろうと考えているけれど、人は社会の中にあるさまざまな関係性の中で生きている。

それ抜きには、生きてもいけないだろう。

パーソナルコーチングで明らかにされた人の願いが、その職場や家族という、関係性の中に届けられやすい文化や雰囲気を醸成していくためにも必要なことという気がする。

まだまだ、学び始めたばかり。

さらに精進していきたいなー

2014年12月15日月曜日

システムコーチングのコース中で起きていたインナーワーク

グループワークは、そのグループでの気づきや学びが得られ、そのグループが前進していくのを助けるもの。


でもそんな、ワークの中で、静かに自分自身のインナーワークが進んでいたりする。

というか、どうも、僕はそちらにシフトしてしまう傾向があるのだろうか。




今回のコースの中でも、そのワークのなかで、僕自身が投影しているエッジフィギアが例によって立ち現れてきた。


覆いようもない苛立ちを感じながら、ワークで様々なロールをとってみる。


そして、とあるゴーストロールのロールをとったところで、グループとしてのワークはいったん終了。

その後、そのロールにいる自分として、このワークを振り返ることに。

また、ここでエッジとインナーワークするのかあ・・・?

やや、あきらめ感とともに、今日こそは!・・・と思いをはせる。



この時にリーダーが促した振り返りのひと時が、僕にとって絶妙な癒しと統合の果実をえる豊かなスペースとなっていった。



ふう~と深呼吸をしながら、深く自分の中の豊かさの原型のケヤキを感じながら、そのゴーストロールにいる自分とエッジフィギアの存在を左右の手でジェスチャーしながら、感じてみる。


・・・そうかあ~、このゴーストロールにとっての豊かな未来のために、このまま、この学びを進めることとそのために出てくるエッジフィギアと対峙し、恐れおののいている自分。


その姿のなんとちっちゃいことか!


何も恐れることなんかない!
そんなエッジフィギアに見られても、それがその場で必要とされることなら、臆せずそのロールを取ろう!


・・・という思いがよぎった瞬間。


ちょうど開かれていた窓の外から列車が走る音が聞こえてきた。


それは、あたかもあの日あの時、あのケヤキが風にそよいで自分の中に不思議な高揚感をあたえた、そのざわめきのように・・・



その音を聞いた瞬間に、大いなるものへの覚醒。その甘味なる果実が私の中に静かに落ちてくる。


「それでいいんだよ。」


とケヤキがそっとあの時のように、背中を押してくれたんだ。



そのメッセージを受け取ったとき、不覚にも熱いものがこみあげてくる。

自分のなかにも、いていいんだよ!そのエッジフィギア。

そして、必要なことはその揺らぎの中で、立ち現われてくる。その時、そのために、臆さず自分をだそう!



ただ、それだけのことなんだ。




ありがとうリーダー、ありがとう仲間のみんな。


僕はあの時、こんなことが起きていたのです。笑


何か、振り返ると、変なところで変な発言や振る舞いをしていたかもですが、どうぞ、ご容赦ください。笑


2014年12月13日土曜日

ケヤキと風のささやき

ケヤキと風が織り成すざわざわとしたささやき。


何かをいざなうような、そっと、背中を押してくれるような、つぶやきにも似たその風。


時に、ざあ〜〜〜っと、いう音とともに、私の心をさらっていくような、ざわめき立つような、音色。


オーケストラが、一瞬の間の後に奏でる交響楽のジャ〜ン!というセンーセーショナルな響き。


あたかも、待っていたかのような偶然の出会いの時に奏でられるときめきにも似た、切ないメロディ。


自分を新たな世界に引き込むような、興味深い世界に出会った時の瞬間の心の揺らぎ。


きっと、この風のささやきが、それを知らせてくれる原形だったのかも。


感じる心を豊かにしてくれていた風と大きなケヤキの下での体験。


これからも、その傾向をもっと敏感に拾ってみよう。



2014年12月9日火曜日

昔やったビジュアライゼーションの意味

昨日、アーノルドミンデルの自分探しの瞑想という本をシステムコーチングを深めるために読んでいて、ふっと気がついた。

この本、というか、ミンデルはよく夢から得られるメッセージをどう日常生活に活かすかという視点でさまざまな事例を提供してくれている。

そういえばと、
10年以上まえにコーチングのワークショップでやった未来の自分を見に行く、ビジュアライゼーションのワークを思い出した。

・・・、
体をリラックスさせ、夢見心地の心地よさの中、自分があたかも宇宙まで飛び上がり、そこから、再び、地球に降り立ち、そこで未来の自分と出会い、その人と話をするというワーク。

それを味わったうえで、それをお互いに語り合い、シェアすることで、イメージを明確にしつつ名前を付けたり、感覚を体に落とし込むことで、その後、コーチングしていく上での未来に向けてのリソースにするというもの。

その時、出てきた映像は、高原の中の草原に一軒の山小屋がぽつんと立っていて、その横に降り立った私は、その中に入ろうと、ノックをして、あらわれた未来の自分が、あろうことか、当時の会社の社長だったのだ。

心地よいガイドにそって、その未来の自分に誘われるままに家に入り、ゲストルームにあるソファに座ると前には暖炉があり、薪が焚かれ、部屋は暖められていた。

そして、ゆっくりと彼は座り、ゴルフクラブを磨きながら、未来の自分は、これまでの自分の足跡を語り、そこに訪れた僕にアドバイスをくれたのだ。

「まあ、大変だったけど、何とかここまで来れたよ。」
「そんなに、心配しなくていい。しっかりと進めばいいんだ!」

的なことを穏やかな表情で語るではないか。

でも、当時、私はなんであの社長が出てきたのか、さっぱりわからなくて、
何か自分は相当の野心家で、そんなに出世がしたいのかな?
そんなことなら、何もコーチングに来ることはないのに...、

と、相当困惑して、その後のペアワークでも、そんな人が出てきたなどと、話すことが自分は出来ず、あやふやにシェアをしたことを鮮明に覚えている。

すごいエッジが立っていた。



ミンデルの本を読んで、その夢からのメッセージをどうとらえるか、

今、改めて考えてみると、、、

確かにその会社かどうかは別として、独立を志向した結果、社長になっているということであれば、全然、そのビジョンって、結果的に、そんなにブレずに、その通りに進んでいるじゃないか!

ってことに、今更ながら気づいてしまったのだ。

そして、高原の山小屋に住むというのも、まさに、これから実現しようと模索を現にしているのも驚かされたことだ。

あの時、もっと、このメッセージを素直に受け取っておけば、もっと、この10年の過ごし方も違っていたかもしれない。

たらればで、語ってもしようもないが、何とも考えさせられる。


・・・くしくも9月末。

会社を辞める直前に、全く思いもしないことに、その夢に出てきた当時の社長から、別件で電話がかかってきた。

「君とは、初めて話すよね。今回は引退したこの立場なのに手間をおかけして悪いね。」

だって。

(・・・いえいえ、あの時、あの山小屋で、お話ししましたよ!○○○社長。)

なんて、言ってみたかったな。


あの時の夢が現実世界に、まさに今この(独立へ一歩踏み出す)タイミングで呼び込んだのか?

・・・知る由もない。


夢・ビジョンは現実化する。でも、意味合いをよく吟味することはとても大切なのだ。

困惑しても素直にコーチやカウンセラーに話してみることは大切なことかもしれないね。



2014年12月7日日曜日

学生とOBとの懇談会のファシリテーション

今日の母校での就活支援ワークショップ、ダブルヘッダー二本目での出来事。


つくづく、

ファシリテーターのあり方として、操作的になってはならない

ことに気づくことになりました。


就活を控える学生とOBとの懇談会。


ねらいは、自分のことを社会人たるOBに語って、社会人との会話に少しでも慣れるようにとの機会作り。


ワールドカフェ的な自由な対話の雰囲気と、ハタモク的な働く意義問う考える場をどう作るか。正直、悩ましく思っていました。


それも、OBと現役との上下関係が前提の中で、どうファシリテーションするか、学生が、気安く先輩に迎合しやすい関係性での場。


セッション①

学生時代の体験の共有

セッション②

仕事経験、将来やりたい仕事の話

・・・までは、想定内。


で、セッション③をどうするか…

思い切って丸投げ的に、


「日本の将来について、フリート〜〜〜ク!特に学生から積極的にぃ〜!」


と、

お題を出して、学生、OBにフリーに語ってもらった。


するってーと、思いのほか、深いい気づきの場が生成されたのです!


学生からは、最後の全体での振り返りの場で、


「これまで自分が何がしたいかばかりに視点が行っていたけど、この話し合いの中から、自分が社会にどんな貢献をして行くか、自分の働くことの意味も考えることの大切さに気づいた。」


と、語るでは、あ〜りませんか!


とかく、就活支援となると、目先のテクニックに走りがち。


でも、本当に伝えたいことは、これからの世の中が迎える課題は何で、それに自分達がどう向き合って行くかということ。


あらためて、そういう話が語られる場が、彼らの目線を高めて、彼らの生きる礎になるんだということを確信した瞬間でもありました。


対話の場をデザインする中で、ついつい、思考を誘導するような問いを立てがちですが、(自戒を込めて!)


そんな、企画側の下心を振り捨てて、ステップワイズにオープン、かつ、マジメな話を重ねることが、思わぬ収穫をもたらすんだ!


との思いを深めた午後のひと時でした。




2014年12月6日土曜日

システムコーチングの診たて

昨日、システムコーチングの依頼主とヒアリングした内容から、彼のプロジェクトのシステムの診たてとその処方について、コ・コーチと検討しました。


概ね診たてが一致して、プログラムをざくっと組み立ててみる。


以前もコンサル的に組織の課題を伺い研修プログラムを提案などしてたので、違いがわかるのですが、組織をシステムとしてみて、診たてると、プロジェクトの中身と切り離せて、システム自体に焦点が当てられ、かつ、その処方も幾つか手持ちにあるのは心強い。


打ち手のレパートリーが広がった感じ。


でも、あくまで、依頼主からだけの情報からの診たてでしかなく、このままスタートさせると、おそらく、他のメンバーは、操作されてると感じかねず、アンケート実施を急遽メンバーにお願いすることに。


依頼主には、負荷をかけてしまいたしたが、同じ条件で当日スタートするには、アンケートやヒアリングは大事だなー


今日も別件でワークショップを二つこなし〜の、

明日のタイムラインを作成し〜の、となんか、フリー感全然無いのですが、笑、

結構、今を楽しめてます!


2014年12月4日木曜日

ハタモク中学校に参加して

中学生の心模様って、壊れやすくて傷つきやすい。

そんな姿を目の前でリアルに体験をして来た様な気がします。

私の本当にやりたい事はこれ!

って、
素直に出せるには、14の彼らにとって、少し厳しい世界を垣間見てしまった。

そんなところなのだろうか?

午前中は、一年生数人とこれからの夢や働く目的を語りあう時間。自分の夢をやりたい仕事に素直に織り込んで語っていた。

とても、純粋で何の制約の無い世界で夢を描き、楽しそうに語っていた。

その、姿を見た後だからなのだろうか。

午後の2年生が、自分の将来について、話すとき、何かすぱっと語れないような、喉の奥が詰まったような窮屈さ、戸惑いが感じられた。

その前に実施した職業語り後で、聞こえてきた「大人って大変そう」との感想。

世の中の厳しさを垣間見て、何も言えなくなったのか。

それとも、何か言い出しにくい環境なのか。(私の存在が言いにくい環境でないと願いたいけど・・・)

クラス間、友人間の関係で言いやすい環境があったか、どうかの違いなのか。

何か思いは持っているのに、言えないような彼ら、彼女らの姿に切なくなってしまった。

感情移入しすぎかな〜

でも、
見方を変えれば、むしろ、そういう悩みは、現実に直面すれば、あって当然の話だし、むしろ、14歳という多感な時期を思えば、正常な反応だとも思う。

早めにそれに気づいたことの方が、もしかしたら、歓迎されるべきだろう。

くしくも、
一年生と二年生に同時に接することで、その成長の過程をこのような姿で見せてもらえた様な気がする。

今日、彼らに伝えたいメッセージとして、名札に貼り付けていた「心のなかに働くことへの問いを持とう!」というメッセージ。

最後にその思いを、メンバーに伝えてエールを送った。

是非、持ち帰ってしっかり、問いとともにいて、時が来たら、自分で一歩づつ踏み出して欲しいな。

アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓、15の君へ〜」が頭から離れない。

そして、そんな、彼らの心の襞(ひだ)に触れ、神聖な気持ちになることができた事に心から感謝したい

2014年12月3日水曜日

コーアクティブ会話術のセミナーに参加して

コーアクティブという言葉は、アメリカ発祥のコーチ養成機関であるCTIのコーチングの肝でもあるコンセプトです。

これを実践してコーチングをすることで、協働的にコーチとクライアントがセッションし、他のコーチングでは得られない内省や学習の場が生まれ、その人の人生全体からみたあり方や行動を促し、溢れるようなエンパワーメントが生み出されます。

私もかつてコーチの資格を得るべく学んできて、体の髄まで体現できるようトレーニングしてきました。

それから、ずいぶん時も経ち、そのコンセプトもずいぶんと進化を遂げています。

そんな、コーアクティブを日常の会話の中で実践するとは、どんな、アプローチなのか?

私もセッションとなると実践できても、なかなか、日ごろの生活の中での会話では、実践するのが難しい気がしていたので、ちょうどいい機会と参加してみました。

参加して、感じたことは、
内容ややり方は知ってはいても、日ごろの日常会話への活かすという視点で、これまで実践しようとしてなかったなー、と実感させられるひと時となったような気がします。

正直、そのもやもや感がまだ体の中に残っていて、まだ、消化不良な状態。

そのもやもや感の中からの声をあえて、聞き取ろうとすると、

「結局、これまで習ったことは、コーチングの中での全体的な流れの中でしか実践できないものとして、自分の中で昇華させていたんじゃないのか?」

「今回のような、ステップで細かく得たスキルを切り出して使っていれば、もっと、日ごろの中で実践出来たんじゃないか・・・」

という事になるのじゃないかな。

それは、
コーアクティブのモデルが素晴らしく進化していて、より、使いやすい形に落とし込まれてきた結果ともいえるかもしれない。

自分が習ったころは、どちらかというと、コーアクティブはいわゆるテクニック的なスキルではなく、その親玉的なスキル、よく必要な場に体現していたい心的態度という意味でいう「メタスキル」として体に落とし込まれていたと思う。

だから、そう簡単に切り出せる代物でなはく、全体として体現して、そこから発せられるバーバル、ノンバーバルスキル全体をコーアクティブと学んできていたのだ。

そうか!
昨日のもやもやの原因はそこだ!

メタスキルとして学んだ、コーアクティブが、こういう形にスキル化すれば、意識して実践することで、十分実践できる単位に落とし込めるという事に驚いたんだ!

たぶん、これは入り口でもあり、入りやすさとして切り出されており、実際に深く理解して実践するにはそれなりのトレーニングが必要であることは変わりないにしても、今回の学びはもっと気軽に意識的に実践して、日ごろからの関係性の改善に活かそうという点だ。

確かに、それでなければ、世に広める意味がないよね。

ということで、もやもやを腑に落とすことは、ここで納めて、さあ、これからは実践だあ~!


2014年12月2日火曜日

中学生に業界を伝えるハタモク業界語り

明後日は、ハタモク中学校という教育イベントに参加する予定です。

埼玉の中学校2年生に働くことの目的を考えてもらうというのが趣旨で、社会人約50名が参加して生徒たちと対話の場を持つことに。

中学生との対話は、はじめての体験なので、とても楽しみにしています。

そして、そこで、前職の職種について、業界を代表して(笑)、私からその仕事を紹介することになりました。

私は、製薬会社にずっと勤めていたのですが、その中で、主にMRという営業の仕事を17年間してきました。

製薬会社の中でも職種は多岐にわたるので、これだけの職種しか話せないというのは、いささか、狭い話しかできないかもしれません。

でも、幸いにして、
その後は、その会社の人材開発部門におり、さまざまな職種の社員を対象に研修を提供する中で、それぞれの仕事での課題や悩みを聞く機会がたくさんありました。

全社の視点で様々な職種を抱えているこの会社の人材に求められる普遍的なマインドや行動は何か?
いろいろと検討して、体系化してきたことを振り返ると、社員一人ひとりが新薬を開発し、世に普及させることへ誇りを持ち、真摯に取り組んでいる姿にたどり着きます。

そんな、彼ら彼女らの顔を思い出しながら、
その新薬を作ろう、広めようという想いは、きっと、この中学生のころに養われたのであろうと思えてきます。

子供のころ、家族に病気で苦しむ人がいて、何とかならないのかと悔しい思いをして、この病気を治す薬を作りたいと思い立ったという話を語ってくれた方もいました。

改めて、この機会に、中学生に向けて、

「あなたは何のために働くの?身の回りに病気で苦しむ人がいて、何とかしたいという気持ちになったことがあるのなら、ぜひ、二度とそのような人を作らないためにこの業界で働かない?」

そんな、言葉を投げかけてみたくなりました。

けっして、楽な道のりではない。けれども、とてつもなく、可能性にあふれ、夢のある世界。

一人でも多くの生徒にその素晴らしさを伝えることが出来ればと思う。

2014年12月1日月曜日

大学時代のクラブOB会に参加して

しばらく、大学時代のクラブのOB会活動に距離を置くようにしていました。

それは、自分自身あまりあちこち顔を出しすぎる習性があるので、これ以上、顔を突っ込んでは、自分の行動に一貫性がないとおもっていたから。

特に、いままで、その専門分野で仕事をしていなかったので、あまり、その方面でのネットワークを作る必要がなかった事がその理由のひとつ。

そして、もう一つは、その関係性が、あまりに、窮屈な感じがしていて、昔ながらの先輩、後輩の関係を求められるような気がして、どうも、その辺りのしがらみが面倒だったという点。

後者の方が理由としては大きいかな。

しかし、これまでの仕事に終止符を打ち、新たに自分の世界を広げようと思っている時期でもあり、誘っていただいたご縁を受け、何か貢献できることがあればと思い、参加してみた。

参加してみて、気づいたことは、現役の学生とOB組織の幹部との間に、相当の隔たりが出来ているということだ。

大学の教育カリキュラムが相当変わってきている中で、その状況もわからない中で、どうして、今の部活動がどうあるべきか、議論をしようにも情報がない状態。そんな状況の中で、感情として、過去は栄光のクラブだったのに、なぜ、今はこんなに弱くなったんだ!なんとかしろ!的な議論に陥ってしまっていた。

でも、すべてを大学や現役の学生のせいにしては、可哀そうな気がする。

なにせ、連綿としたクラブでの伝説や物語が受け継がれて来なかったからだ。
当時は、あまり勉強しなくても何とかなり、その中で学生時代を謳歌すべし!という時代の精神が変化して来ているという点を押さえつつも、その変化の中にあっても、クラブの中で変わらぬものを、伝え続けたかにあると思う。

このクラブにいる事への誇りやスポーツを愛し、暇さえあればいつもそのことばかり考えていたという気概を伝えることを怠ってきたのだ。

OBはキャンパスが移ったとはいえ、その後、あまり、OBメンバーは大学へ寄り付かず、若手のOBとシニア世代のOBとの間に相当の隔たりが出きているのも、確かであり、その原因は中間世代である、我々にも責任があるのかもしれない。

まあ、そんなこんなで、
この火中の栗をどうやら拾ったようで、今後、少し今どきの現役部員の気持ちを聴いてあげる役割をすこし担うことになりました。

まさにシステムコーチだね。
双方の言い分を聴いてあげて、適切な見立てをして、双方にとって、WINWINになるようなワークをファシリテートするってことになれば、いいな。

どうやら、あるべき組織に何かが滞っていると、流れをよくしたくなるというのは、どうやら私の性分のようで、嫌いじゃないんだなあ~、これが。

楽しんでやってみたいと思います。

2014年11月29日土曜日

GEで流行ってる言葉、ピボット。

昨日の日経朝刊にGEのCEO、イメルト氏へのインタビュー記事が載っていて、興味深く読ませていただいた。

かの、ジャック・ウェルチ氏からGEの経営を引き継いで、もう、13年になるとは!
時の経つのは速いものです。
当時は、ウェルチ氏の本が経営本として、売れまくり、果たして、後継者は誰だろう?と揶揄されたものです。

そんな、ウェルチ氏の後を受けてのイメルト氏へのインタビューでは、後継者について、質問を受けて、「まだ、わたしは若い!」牽制しつつ、後継者としての求められる資質について、言及していた。

内容は、読んでもらえればと思うが、その中で、一つ面白いな〜と思ったのが、このブログのタイトルにも有るピボットという言葉。

ピボットと言うと、Excelのピボットテーブル、スキーでもピボットターン、なんてのもあるけど、ここでは、バスケットで、片足を軸にして、もう片方の足を右に左にと、一歩踏み出して、パスコースや次の展開を探る動作をビジネスの中にメタファーとして、持ち込んだ表現。

最近、よく使われる自分軸を持ちつつ、しなやかにその状況に応じて対応する「レジリエント」という言葉がビジネス界で流行っているが、同様の意味だと思える。

ただ、ここでは、しなやかに対応する以上に、軸はブラさず、でも、一歩踏み出して行動してみよう!という含意があるようだ。

より、行動を促していると言えよう!

マンモス企業の厳しさもあるだろうが、そんな企業でさえその姿勢を貫こうとしている。

翻って、私のあり方、どうよ!
って、見直さないとね!

小さいだけにね。大企業に小回りで負けてはいられないよね!笑



2014年11月28日金曜日

関係性へのコーチングを学ぶということ



コーチングを実践するうえで、大切なことはクライアントの持っている持ち味や可能性を100%信じて、クライアントの目指す目標や、その歩みをサポートすることといえるだろう。

私もずいぶんコーチングを受けて、勇気づけられさまざまなことに挑戦し、行動し、結果を振り返って成長を実感してさらなる課題に挑戦してきたと思う。

また、コーチとしても、クライアントのありたい姿やその可能性を認知して、その自分らしさから課題に立ち戻り、今までとは違う、自分を発揮できるよう、チャレンジしていくことを、熱く応援したものだ。

しかし、よくジレンマに陥ることがある。

特に、組織や家庭にかかわり、職場の空気を変えようとか、家庭内の関係を改善しようとする場合だ。

いくら本人が、自分の本来のありたい姿から、他者に影響を与えて、職場や家庭の雰囲気を変えようとしても、なかなか変えられない壁が存在するからだ。
でも、実際には多くの人がこのような壁に突き当たっているといえる。

それは、組織の中に内在する風土や文化、パートナーや家族の持つ固有の価値観といったことからの圧力に対して、個人があまりにも無力であることに依るように思える。

よく、コーチングを習いたての時は、それすらも、自らの無力さによるものと捉えて、何が自分に足りないか内省し、コーチにその気持ちを告げて
認知してもらい、目に映る世界を見直して、別の視点からアプローチをしたりしていた。

しかし、よほどいいきっかけがないと、同じ土俵で、その職場や家庭の関係について双方で、忌憚なく語り合うことってない。

どこか、押しつけになって、かえって壁を作られてしまう。コーチングを胡散くさく思われる瞬間だ。

結局、独りよがりで当たっては挫け、それを続けていくと、コーチング依存症が発症する。
コーチングのセッションが単なるグチを聞いてもらう場に変容するのだ。

私も罹っていた。長患い。そんな自分に堪えられなくなり、いつしか、コーチングから離れた時期があった。いや、今もコーチをつけていない。

本当に自分が心からその課題にコミットできる時期を今は待っている。そうしたら、コーチをつけようと。

そうでないと、何か言わされているような気持ちになり、また、同じことを繰り返しそうな気がしているからだ。

そうならないために・・・

今、自分が注目して学んでいるのが、CRRという機関の提供するシステムコーチングだ。
ORSC(Organizational Relationship System Coaching)の略号でオースクと呼ばれるコーチング。

要するに組織やグループ、家庭やカップルといった複数の人が織りなす関係性に向けて、関わるコーチングで、見方を変えると組織変革ファシリテーションのスキルともいえるものだ。

これまで少しかじってきたユング派心理学者のアーノルド・ミンデル氏の提唱するプロセス指向心理学やグループファシリテーションで提供されてきたエッセンスをきれいにまとめて、体系的にスキルや関係性の診たて方を提供してもらえる。

前から気になる存在であり、いつかは学ぼうと思っていたが、独立に当たって、このコーチングをしっかりと脇に携えながら、個人へのコーチングをすることで、個人への関わりとして、出来る限界を見極められ、その時には、他のアプローチとしてシステムコーチングを提案することも可能だろう。

しかし、いったん、個人にかかわった上で、その人と利害関係のある組織や関係性をシステムコーチングで見ていくと、どうしても、その個人の立場から見てしまい、公平な関わりができない。
関係者には操作されていると感じる可能性があるからだ。

その場合は、別のコーチに実施してもらうというのが、筋だろう。

とはいえ、そのような選択肢を持ち、クライアントができることの限界を感じた場合はきっといい提案が出来る。

コーチとしても、ジレンマに陥らずに済むというわけだ。

ORSCの応用コースはあと残すところ、1プログラムとなった。どの程度、使いこなせていけるか、楽しみなところだ。

そして、そろそろ、コーチをつけて、自分自身も目指す世界へドライブをかけていこう!


2014年11月27日木曜日

自分自身の多様性を感じてみる

組織の問題ってさまざまなところに存在していますね。

先日もお話を伺った方が、事あるごとに
「いや~、ウチの組織は全く機能していない。何せトップがねえ~。」
という感嘆文を差し込んでは、悩ましい顔をしていた。


過去に自分が見てきた組織と比較をどうしてもしてしまい、批判的になってしまう様。

「ある心理学の考え方では、そう見えている先方の姿の中に、自分が、あまり受け入れたくないと思っている自分を投影している。と診ているそうですよ」

「・・・?。」

「もしかしたら、今はたまたま、それを批判する側に立っているだけで、ひょっとして、その立場に立ったら、同じようにふるまう自分がいる。自分にもそういう多様な要素があると診てみるんですって。

自分にもそういう部分があるとして、もしも、それが自分にとって、これまで役に立ってきたとしたら、相手(=投影された自分)に対して、どんな気持ちになりますか?」

「でも、そうだとしても、それでどうすればいいんだ?」

「批判的に感じている自分も、投影された自分も、同じ、自分自身で欠かすことのない存在で根っこはつながっているのだと、統合して感じてみるんですって。」

「何か悲しい気持ちが湧いてきた・・・」


・・・返って、相手の方を混乱させてしまったかもしれない。


でも、その視点にたってみることは、この方にとって、きっと、必要なことだったのだろう。
そして、その知らせを届けたのが、たまたま、私だったということ。


しかし、そういった時点で、何かその方と私の間に距離が生じてしまったのではという恐れが私の中でうずめいてくる。

そう、それが私の中で前進を阻むもの(エッジフィギア)なのかもしれない。

お知らせ係が常に背負ってしまう、「知っている人」になって、周囲から距離を置かれてしまう孤独感。

ただ、振り返って、今回のケースを考えると、これまでのように知ったことをひけらかす様な、振る舞いでなく、心からその方の苦悩に共感する中から伝えられたと思う。

そうでなかったら、そんな知識を伝えることもなかったでしょうし。


そういう相手とダンスする感覚で伝えていくというプロセス。


すこし、出来たのかもしれないし、やはり、出来なかったのかもしれない。


まあ、今日は前者を尊重してその感覚を感じてみるとするか。

2014年11月26日水曜日

日本プロセスワークセンター「ワールドワーク レベル3」に参加して



人の成長や変化を規制させているものは何だろうか?

それは、環境や周りの人のせいではなく、実は自分自身の中にあるのに気づいていない自己、あるいは、自分の見たくない感情を揺さぶる存在に対する自分自身の態度そのものが、成長を阻んでいる。

それを図らずも、直観した三日間だった。

参加した目的は、これから人のキャリアや組織にかかわるコンサルタントとして、今後、実施するであろう研修やワークショップでの場づくりにおけるファシリテーターとしての自分自身の器を広げるためといえるだろう。

そして、自分のファシリテーターとしての器を広げるためには、自分自身の多様性に気づくこと。

頭の中では、わかっていたような気がする。

アーノルド・ミンデルの「ディープデモクラシー」を読み、まさに、ワークショップの場で起きてくるファシリテーターの葛藤は、大きく場に影響を与えるのだと。
そのためにあらかじめファシリテーターは自分自身の中の多様性とインナーワークをすべしと。

今回のレッスンでは、ファシリテーターとしてワールドワークの場に立てたことで、直接、ファカルティからフィードバックを得られることが出来、技術的な面での大きな学びにつながったことは確かだ。

しかし、それと同時並行で、積極的に参加者側として、ロールを買って出て、さまざまなロールからの声を発していくことで、参加者側に起きる意識変容を感じ取ろうとしてみた。
そして、そのことから、図らずも自分がこれまでずっと葛藤してきたエッジフィギアとこれからさらに避けられないであろうエッジフィギアを見出すこととなったのだ。

結果的に、そのことがファシリテーターとしてのスキルを向上させるという面以上に、今回、自分自身にとっては大きな学びにつながったといえるだろう。

一つ目のエッジフィギアとは、すでにこのレッスンが始まった時点から、すでにその関係性が生まれ、その時点で、すでに布置されていたのだ。

そして、その関係性が二日目の最後のワークの時に起こるべくして起こった。

途中までは、とあるテーマでのロールを取ったはずなのに、途中から自分とそのエッジフィギアとのエッジを超えるためのそれぞれのインナーワークとなっていたからだ。

まさに、ここ何年かの間、自分の中でささやかれていた声がリアルにささやかれ、いつの間にか場のロールから自分事に変容し、そのロールをとった側も、すでに何かを感じそのロールの中に自らをゆだねていたのだ。

ロールは言う。
「もっと、邪魔していたいよ。なんか、かまいたくなるんだよ!」
僕はといえば、
「そうか、邪魔していたかったんだね。まさか、そんな風に思っていたなんて思わなかった。きっと、君は自分を陥れるすごく恐ろしい存在だと思い込んでいた気がする。だから、場に君が見え隠れすると、見ようとしないで排除して先に進もうとしていたんだ。そんな、君に気づかなくて悪かったね。
でも、君がいるからこれまで何とかここまで生きてこれたことも忘れない。有難う!」
「そんな、感謝されても困ってしまう。そして、なにか寂しい気がするよ。」
「いいんだよ。そこにいてくれて。
また、思い切り引っ張ってくれればいいよ。そしてこれからも一緒に進もう。そして、もう、僕は君を邪魔者扱いしないよ。」

すでに、会社を辞めてこの場にいる時点で、このエッジは超えていたものでもあるので、自分自身にとっては、これまでその存在に感謝をして、また、一緒に歩いて行こうと許せる存在であることに気づき、しっかりとエッジを超えた自分を感じ、統合して完了することが出来た。

初日から、すでに関係性がおき、ロールを取ってくれた彼に帰りがけに心からお礼を言った。

そして、彼もいっしょにワークすることで自分の中に自分事として何かを受け取ったとの言葉をもらった。
図らずも、握手しての別れ際、「頑張ろうね!」と、ある病気を持つ人には、言ってはならないワードで励ましてしまったのだが、そこには、あの場を一緒に体験したからこそ、互いに頑張ろうといいあえる切なる思いから出た言葉だったのだと思う。ごく自然に受け取ってくれた。

それぞれにそのエッジフィギアとこれまで戦って来た者同士として。

最終日は、自分自身はすでに何となく完了感があるのと、寝不足からくる倦怠感から、距離を置いて参加する予定だった。そう、あくまで予定だった。

しかし、その新たなるエッジフィギアが出現したとたんに、自分の中で、もう何もエッジはないと思っていたことが、やはり幻想でしかなかったと気づくはめとなった。

何となく、当初から気になっていたその人がそのロールを取った途端、
激しく、自らもロールをとって、相手のロールを攻撃し始める私。
場自体も、もはや、ロールをとっていた人たちが個人の問題を扱い始めていたことで、一気に私の中もロールから個人の問題へと遷移していたようだ。

しかし、今回は自分のところで立ち上がったホットスポットにファシリテーターは気が付いていたようだが、メインのスポットに焦点をあてたことで、そのままの状態となり、私の中で起きていることに自分で対処しなければならないこととなり、その場はお開きとなった。

自分の中に湧き上がった、この反応への動揺とそれへの自覚。
                         
これからの向き合わなければならない葛藤はこれか!との思いがめぐる。

休憩時に先に帰る彼が僕に手を振ってくれた。
僕は寄って行って、
「今日は、ロールをとって出てきていただき有難うございます。おかげで、気づくことができました。」と彼にお礼を言った。
すると、彼もどうやら僕の中の反応に気が付いていたようで、
「私もずっとその問題については、取り組んできているんですよ。なかなか、難しいよね・・・。開業するんでしょ!ぜひ、頑張ってください!」
との言葉を頂戴することに。

最初、したり顔でコメントする彼を似非エルダーだと思っていたが、どうやら、あえて葛藤を引き起こす新手のエルダーのようだったのだ。

「見たいようにしか人を見ていない」
ことを反省すると同時に
「自分自身に自覚的である」
ことの大切さを実感したわけである。

ふたつのエッジはこれからも僕の中に居続けてくれる。ひとつは仲良しで。そして、もう一つへは、これから、さらに向き合って統合していくことになるのだろう。

私の中の多様性に気付くこと。そして、それを自覚し、意識的に統合すること。
                                        

これからも、これらとともにあらんことを願う。

レイモンドチャンドラー「長いお別れ」を読んで


 実家を片づけていてずいぶんたくさんの本を処分(ブックオフに送り、ほとんど値段がつかなかった)したが、捨てるのが惜しくてとっておいた10冊程度の文庫本の中の一つ。

たしか、読んだのは学生時代、チャンドラーという著者名のかっこいい響きに魅かれて。あるテレビドラマで主人公だったかが意中の女性に本屋で声かける時に、「チャンドラーがお好きなんですね!」なんて言って親しくなろうとしているのを見て、「・・・そうか!チャンドラーを読んでるとかっこいいのかあ?」という興味関心が湧いたことがきっかけだった気がする。

そんなことで、はじめに読んだのがたしか、「さらば愛しき女よ」そして、「長いお別れ」。でも、今から思うと、当時の自分の人生経験、社会経験が浅いことや、当時のアメリカ社会の雰囲気への洞察が足りないという背景もあり、主人公のフィリップ・マーロウの孤高な立ち姿や、バーでのウィットにとんだやり取りが、どうにも自分の中で立体的にイメージが出来なかったように思う。

なので、読後感としては、何となくマーロウのかっこよさは、感じ取れたものの、その深味というか味わいという点ではまだまだ浅く、若く生意気な自分としては「オレ、チャンドラー読んでんだぜ!いや、かっこいいね!マーロウは・・・」と自慢げに話す程度のものでしかなかった気がする。

それから、30年の時を経て、ストーリーの中の42歳のマーロウよりも、歳をとり、あらためて読むことで、何を感じるか・・・? たぶん、気になっていたから、処分せずに手元においたのだろう。

そして、あらためて、読んでみてどうだったのか・・・

友達であるテリーの謎の死について、外部からの圧力に屈せず自分の気持ちに正直であり続けることから一歩もぶれずにあり続ける立ち姿は、何とも象徴的でハードボイルドである。
そんな中にも、やぼったい男のスケベ根性も行間から読み取れ、わきがあまく、女の誘惑におぼれそうになるマーロウには、愛着を感じずにはいられない。

そして、どうしても、そんな切り口でしか見れない自分に許可しながらも、とどのつまり、今自分がこれから行おうとしているコーチングやコンサルティングにおいての学びとしては、

「自分の中に湧き上がる違和感にとどまり続けることこそが、クライアントの未解決なものと向き合える肝となる。」

ということではないだろうか。

テリーという友人に起きた理不尽な死への未完了感、納得いかないという個人の内的な課題を抱えたまま、他のクライアントの依頼に取り組むうちに、なんと、そのクライアントも同じ苦しみの中におり、そこで起きる数々の不可思議な出来事に巻き込まれる。

そして、真の犯人が明らかにされると同時に、事件の背後に潜む、戦争によって引き裂かれた離別という過去と、当時の上流社会の派手やかさのなかで、必死に生きていることへの矛盾と苦悩が明らかにされ、深い悲しみの中、事件は解決に向かう。

それは、マーロウの中で起きた感情の揺れがあたかも、他者にも乗り移り、増幅されて、その苦悩がさらなる悲劇を生むものの、登場人物のなかで浮き上がってきたそれぞれの未完了なるものが、その死とともに完了を告げる。

そして、明らかになったことは、過去の亡霊はやはり亡霊でしかなく、そこに、新たな発展はなく、何も生み出すことはないということ。

それは、ようやっと再会できた友人に、もはや同じ関係を築くことが出来ないことに気が付いてしまい、<ヴィクター>でギムレットを飲むことなくお別れを告げるラストシーンのように。


そして、ふたたび、マーロウはやぼったい探偵の日々が続くのだ。

専門を学ぶ中でプロ意識が萌えるために

昨日は、縁あってとある理系大学のスタッフの方に最近の学生のキャリア支援のお話を伺う機会があった。

話は多岐にわたり、最近の学生のキャリア形成意識や、就職後の専門職としてキャリアパスの問題。実際にインターンを実施するうえでのキャリア教育の視点での支援の状況など、伺う時間を過ごした。

その専門性で国家試験に合格させ、多くの専門職を輩出することがその大学の存在意義である。
また、学生も専門職としてのライセンスを得るためにあえてこの大学を選択していることが前提であり、その意味ではすでにキャリア形成支援は不要のものと思っていた。

しかしながら、就職については、ある程度需要があり、問題はないものの、そのあとのキャリアパスが描きにくく、給与は頭打ちとなり、単なるオペレーター、機能としてのみ扱われ、社会的なプレゼンスも相対的に低下する可能性があるというのだ。

そうならないためには、職域としての専門性をさらに高め、それが社会的にも認知されるようになることが求められる。

では、現在の学生は、そのような問題意識をもって、会社や公共機関に就職しているのだろうか?

どうやら、現状では、国家試験のさきにあるプロとしてなりたい姿を描き切らずに就職している可能性があるとのこと。

卒業後、自分の専門性をどのように高め、どのような方向性をもって、自分のキャリア=専門性を開拓していくかについて考えることへの意識が学生に希薄なのは気になる。

専門職になれて安定した収入があるという事は生きていくうえで大切なことだけど、非常に社会への貢献度の高い職業であるだけに、その職で自分自身が働くことに意義を日々感じ、課題を見出し挑戦し続けていく、そんな人材が一人でも多く輩出されることを願ってやまない。