2015年1月22日木曜日

人のキャリアを伺うことの妙味とは?

昨日は、朝活で、大崎にて、らくまんインタビューに初めて参加し、

夕方はteam Open Yokohama(通称 tOY)のメンバーで一緒に作っている、プチキャリアカフェを主催しました。


両者とも、ゲストスピーカーを招いて、その方のこれまでのキャリアの変遷や今後の夢などを伺うというもの。


いずれの会も、くしくもゲストは、自ら起業して活躍されている経営者の方でした。

私も・・・ただ今起業して会社を経営していこうと準備中の身。

非常に刺激のある一日でした。


お二人とも、規模の大きい小さいは別で、共通していたのは、長期ビジョンを持っていること。

また、それに向けて、具体的に取り組んでいる。


今回は、そこにずいぶん焦点が当たることになりました。


特に、夜のプチキャリで、

一通りのインタビューのあとに、長期的視点について、グループで対話をしたのだけれど、

個人事業主の方や、学生からは、長期といわれても、今、目の前のことで精一杯。

おっしゃることは、確かだけど・・・と、何か違和感のようなものを感じていたような・・・


ゲストの方は、60歳代で団塊の少し後の世代。

常に右肩上がりの時代に、会社も競争、自分も社内で競争しつつ、キャリアを歩んできている方。

今、自分で立ち上げた会社も、人口減少していくという新しい時代のパラダイムの中で、新たなビジネスモデルを構築して、成功し上場を目指したいという。


他方・・・

学生たちの感性としては、

上場を目指すことに、意義があるのか?

収益を上げることに意義があるのか?

むしろ、本質的に社会の課題に取り組むのなら、何も利益を上げるのではなく、儲からないからと誰も手を付けていないところに、手を差し伸べることにこそ、意味があるのではと考えているようだ。


我々世代が、おいしいところだけ食い散らかして、手を差し伸べていないところ。


「そこに手を差し伸べることにこそ、社会的な意義を感じる。
決して、お金にならなくても、それで困っている人を助けられればいい・・・。」


話していると、どうも、そのようなことを感じていると受け取ることができた。


最近、よく聞く、社会起業家(ソーシャルアントレプレナー)に魅力を感じるのだろう。



どちらが悪いということはない。


私などは、おおざっぱだから、表現の違いこそあれ、社会のために尽くしたいという願いは同根だと思っちゃう。


要は、それぞれが、見てきた世界、今見ている世界が、違っているだけの話。


でも、ややもすると、
そういった、お互いが信じるところの長期ビジョンや価値観を直接ぶつけ合うと、「あの人、何考えているの・・・!」って、お互い相いれないって形で断絶しちゃう。


このプチキャリでは、
ゲストスピーカーのこれまでのキャリアの話をじっくりと聞いたうえで、ダイアログを実施して、そこから感じたこと、生成してくるものをハーベストとして個々に持ち帰ってもらっています。


インタビューでは、
学生時代の「学ぶとはこういうことなのか!」とか、社会に出てからの「働くってこういう事なのか!」と思った時の原体験的なストーリーを伺っています。


そういった、体験から人は自分の仕事観や勝ちパターンを得ていく。


そんな当時の時代背景や、雰囲気、その時、本人が感じたことなども織り交ぜられることで、

自分達とは違う文脈の中で生ききたことへの理解や尊重の念が醸成されてくる。


たぶん、そのあたり、インタビュアーがしっかりと背景やその時の臨場感をフレーミングして聞いてあげた方がいいんだなー
(お~、書いてて自分への気づきがあった!)


そんな、尊重の雰囲気があったうえで、ワールドカフェを実施する。


そこに、ホンネで語り合える可能性がうまれる。


本来ならなかなか相いれないところから、それぞれが気づきやヒントを持ち帰ってもらえる場に変容し行くのかもしれない。


これからも、隔月になりますが、着実に続けてまいります。


また、ご案内しますので、team Open Yokohama(通称 tOY)の1プロジェクト、キャリアオープンヨコハマ(通称 cOY)のイベント、プチキャリに参加いただけると嬉しいです!

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