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2015年2月9日月曜日

総括する会議をさらに俯瞰してみる

先日、毎年、就職支援のためにお邪魔している大学での就職支援活動の総括会に参加してきた。

毎年、その年度の就職内定状況を踏まえ、学校側と社会人支援委員側とで課題の洗い出し、次年度取り組む方向性を確認する会議。

今回も、活発な意見のやり取りがなされる。

今年度は、アベノミクスの影響からか、比較的企業側の採用意欲が高く、学生らの積極的な態度もあったため、どこか、進捗の悪さを反省するようなモードというより、今後どう打って出るかという視点での会話が多かったように思えた。



・・・経団連の採用スケジュールが後ろ倒しになったことで、インターンを導入する企業が増えていることを学校としてチャンスと捉えよう!

という発想はとても前向きで話していて心地よいエネルギーが湧いていきた。


こういうような前向なムードで話し合うときは、

話し合いが進むにつれて、どんどん、相乗りするようにアイデアがあふれ出てくる。

こんな風にやるといい!

こんな仕掛けがあってはどうだろうか?

などなど、ついつい思いが膨らんできたりして。


ふと見ると、事務局の方がちょっと緊張気味に。

そうそう、ちょっと、飛躍しすぎて、こんなにあれもこれも一斉には出来ないよなーって、

気がついて、事務局の方を気遣いフォローし、実行可能性を探すモードに入る。


たぶん、私はそういう思いを膨らませて、構想を描くことが好きなのかもしれない。

いいなーと思うと、つい口に出さずにはいられず、言ってみてから、

おっと、じゃあどうしたら、実現できるか具体化しないとって、

現実の世界に引き戻される感じ。


この連続なんだなー。




将来に向けて、思い描くから、モチベーションが高まり、

目の前の障害に対しても、乗り越えていこうというエネルギーが湧いてくる。


このあたりは、人それぞれなのかもしれない。

大きく構想を描くよりも、現実の路線をきっちりと回していくことに安心と価値を見出す。

そういう人がたくさんいるからこそ、この日本では仕事がきっちりと回り、品質にばらつきが少ないんだ。

そういう着実に物事を進める文化の中で、さらに飛躍するために、大きく構想し着実な一歩を歩む。

これが出来ると強いよね。



飛躍のためのフックはどこにあるか?

それに届くために今のうちに何を仕込んでおけばいいのか?


そんな議論まで進めておくと、きっと、当事者間での目線があって、あとあと、協力や支援も得やすいんだろう。



自分の傾向を知ると同時に、さらに、この就職支援の取り組みの行く末が楽しみになり、もうしばらく関わっていたくなったのでした。

来年度もぜひぜひ、何かお役に立てればと思う。


2015年1月15日木曜日

映画「風立ちぬ」をプロセス指向心理学的に見ると・・・

「風たちぬ」を見た方はどんな感想を持たれたでしょうか?


二郎と菜穂子の純愛物語、あるいは、ゼロ戦の設計者の半生の物語、その背後にある戦争に突き進んだ日本という時代を生きた人々の物語。


映像の美しさ、時代背景へのリアルさ、など、作品の仕上がりのすばらしさだけでも十分満足できる映画。


私は、見終えた時に、モヤモヤとした違和感を覚え、結局、この映画は、宮崎駿氏は二郎、菜穂子を通して、何を伝えたかったのだろう?


むしろ、そんな好奇心が湧いてきた映画であり、原作を買ってみたり、本屋で堀越二郎を紹介する雑誌などを手に取りたくなる。


そんな、衝動に駆られる映画だった。


一方で、ひょっとすると、それまで、半かじりしていた、

プロセス指向心理学(POP)のドリーミングの枠組みでとらえると、堀越二郎という人間の生きざまを理解する上で、わかりやすいかも。

と思うようになりました。

そして、むしろ、まだ、聞きなれない人に、POPの基本的な枠組みであるドリーミングとその三つのレベルを理解するのに格好の題材なのではと思えるようになったのです。


私はPOPの専門家ではないので、用語の細かい解説などは、ここでは、簡略しつつ、1学習者として理解した見解から、風たちぬの主人公、二郎の見ている世界を紐解いてみるという試みをしてみたいと思います。

※未視聴の方で結末を知りたくない人は以降読まないでね!


結論から申し上げると、

「主人公、二郎は、日本が戦争に向かって突き進むという時代の中にあって、妻菜穂子に象徴される自分の追い求める”美しさ”を、自らの夢でもある美しい飛行機を戦闘機という形で設計し、夢を実現していく物語である。」
(この文の中に、後述するPOPの三つのレベルが表現されています。)

ということだ。


二郎は、そのことに一切ブレずにその自分を生き切り、ゼロ戦を完成させる。

菜穂子も、愛する二郎とまだ病気が進行していない美しい自分だけを見てもらように、二郎とともに生きることに、生きる意味を見出し、その役割を終えると密かに去っていく。

しかし、夢を実現させたその戦闘機は、多くの若者を戦地に送り出し、戻るとこはなく、たくさんの悲劇を生むことでもあったのだ。


美しさの裏にある、現実世界のはかなさが、一層、ふたりの残された「今」を生きようとする、その生きざまを引き立てている。



POPの概念では、人が見ている世界は三つのレベルに分けられるという。

・エッセンス・・・感覚的にしか語られないような、本質的な願いにつながるゆらぎ
・ドリーミング・・・その感覚的なものを言葉やイメージで膨らませた内的な世界、夢見る世界
・合意された現実・・・実際社会の枠組みやルール、役割の中で生かされているという現実


これが、この映画では、そのまま、きれいに描かれているという点が、興味深い。


私の三つのレベルからの解釈では、


エッセンスを象徴しているのが菜穂子であり、一度、飛行機設計に失敗し、失意の中の二郎は、その美しさに触れることで、再び、自分を取り戻し、自分がもっとも自分らしくいられる存在を得たことで、現実世界に舞い戻る。

映画でバルコニーで紙飛行機を飛ばして、菜穂子とやり取りをする姿は、まさに、二人がダンスをしているように、関係性を紡ぎだし、かけがえのない存在になっていく場面だ。
そこには、言葉はいらない。
まさにエッセンスレベルでセンシングしているのだ。


ドリーミングは、言わずもがなのイタリアの設計技師との夢の中でのやり取り。
彼との対話の中で、自分が飛行機の設計に携われるのかという悩みを打ち明け、そこで勇気づけられることで、飛行機の設計技師となることを決意する。

そして、その後も、たびたび、その夢の世界のなかで、イタリア人技師という相手を通して、自らの求める”美しい”飛行機の原型を収れんさせていく。


合意された現実は、軍が期待する海上を長駆できる軽量の戦闘機(二郎にとっては夢でもある美しい飛行機)を設計していくという利害が一致したという現実。
戦争がなかったら、二郎の夢は実現できなかったかもしれないという現実。

たとえ、そうであろうとも、決して、悩むことなく、そこに自分の夢を託し、設計にまい進する。



POPのいずれのレベルでも”美しさ”という軸から一切ぶれず、まさに自己一致し、自分らしくあること、それに支えられることで、自分の夢を実現する。



もし、仮にかつての自分が二郎だったら、
合意された現実の中で、設計する飛行機が殺人の道具になることについて、悩み、葛藤していることと思う。そして、これが本当に自分が求めているものなのか?
と、自分の希求することに懐疑的になり、”今”を生きることが出来ないような気がする。


一方、別の見方をすれば、
彼のように、どこまでも、自分の夢を追い求めることに純粋であることで、知らぬ間に周りが引き寄せられて、結果としてチャンスが生まれてくるということなのか?


今の世の中、この合意された現実の中を生きていかなければならない。
夢を追及していたら、食いつぶれてしまう。
だから、合意された現実レベルを淡々と生きていくんだ。


でも、そのなかあっても、
自分に起きてくる言葉にならない「ワクワクな感じ」「胸がキュンとする」という、突如、風が揺らぐようなエッセンスレベル。
「こうなるといいなー」と思い描いた夢やビジョンというドリーミングレベル。


どこか自分の中にあると思う。


普段、気づかなくても、無意識に持っているんだ。



「風たちぬ」という映画をここまで振り返ってみて、やはり、映画の冒頭のこの一言に尽きるのかもしれない。


「風たちぬ、いざ生きやめも」(ポール・ヴァレリー)


あなたにも、もし、今、風がたっているのなら、その風に乗って精一杯生きてみてはいかがだろうか?


参考:
「風たちぬ」のあらすじはこちら


2015年1月8日木曜日

この世はすべて不確かな波でしかない?

昨年、システムコーチングを学んでいると、突然のように出てくる言葉、量子力学、波動関数。

なんでここで物理になるの?って感じがしてた。



参考書籍にプロセス指向心理学のグル、アーノルドミンデルの本があって、多少触れているけれたけど、どうにも、わかりにくい。



彼曰く、「その場にゆらいでいるわずかな傾向を捉えろ」とのこと。


そして、その傾向やゆらぎをフラートと呼んでいる。


このような波の集合体を人間は知覚で捉えて、都合よく構築され作られているのが、この世界だというのだ。


そして、このフラートを捉えることが、あらゆる行き詰りのブレークスルーやクリエイティブに繋がっているということのようだ。



その基礎理論が量子力学だというのだ。



実は、学生時代、薬科大学に通ってた関係で、

化学物質を合成していくうえでの理論を学ぶために

どうしても避けて通れない、物理化学をという恐ろしい教科があって、

その科目が2年から3年へ進むための超難関だったために、少しでも理解しようと

この量子力学について、ちょっとかじったことがある。


なので、ミンデル先生の言っていることの背景が、ちょっとだけ、分からないでもない。



自分の理解を言葉にすると、


「この世にある物質をどこまでの小さく割っていって、素粒子というこれ以上割れないくらい小さくすると、

それは、本当に物質なのか、

あるいは、波なのか確定できない。

よって、見方によっては、世界は波の集合体でしかない。」



よって・・・以降は、そういう見方にいったん立ってみようというレベルなんだけど、

そのまえまでの文章については、ハイデルベルグの不確定性の原理という、

れっきとした量子力学の理論を指している。



最近のスピリチュアル系の引き寄せの法則なんかも、この理論から、念ずれば必ず手に入るという解釈を展開しているようです。

結構、人気を呼んでる本ですね。(参考図書:こうして、思考は現実化する)



自分としては、

あの難解だった量子力学の理論が実生活に活かせるような方法論に展開されるなんて、当時は想像もつかなかった。


今でも、なんだか感慨深く感じてしまう。


なぜなら、量子力学がどうしてもわからなくて、知りたくて、当時、購入したブルーバックスの入門書で、一番衝撃を受けたのが、この不確定性の原理の話だったから。


そのくだりに行くまでは、どうしても冗長かつ難解だったのだけれど、以下の部分は今でもすごく印象に残っている。



・・・不確定性の原理の説明のために用いた究極の実験として、

仮に微粒子の大きさを測ろうと、箱にその微粒子を一個だけ入れる。

素粒子レベルになると、明るいとあまりに小さいので見えなくて、一つの波としてしか捉えられない。

そのため、真っ暗にして測ろうとする。でも暗いと大きさは測れない。


つまり、二律背反の状況に陥ってしまい、暗いと大きさは測れず、光を当てたとたん、光と同化して波長としてしかとらえられなくなっちゃう。

という事なんです!


そうすると、よく物理の世界でみた、

原子のまわりを電子が一つの軌道を回っているという模型図はありえなくて、

電子は原子の周りを波のように揺らいでいるだけで、その軌道は確率的にそこを描くだろう確率の高さでしかない。

ということなのだ。


そう、この世は、すべて、光の波で出来ている・・・


にわかには、信じられない世界なのですが、

その視点に立って、知覚を全開にすると、固定概念にとらわれずに見えてくるものがあったり、

今までにない気づきが起こせるかもしれないね。


そういえば、古くから、仏教の世界でも色即是空といってた。



実家の本はすべて片づけたので、どんな本だったか、怪しいのですが、参考までに当時、読んだであろう、図書を紹介しますね。

今は、もっとわかりやすく説明した本がたくさんあると思います。参考まで

量子力学の世界


2014年12月9日火曜日

昔やったビジュアライゼーションの意味

昨日、アーノルドミンデルの自分探しの瞑想という本をシステムコーチングを深めるために読んでいて、ふっと気がついた。

この本、というか、ミンデルはよく夢から得られるメッセージをどう日常生活に活かすかという視点でさまざまな事例を提供してくれている。

そういえばと、
10年以上まえにコーチングのワークショップでやった未来の自分を見に行く、ビジュアライゼーションのワークを思い出した。

・・・、
体をリラックスさせ、夢見心地の心地よさの中、自分があたかも宇宙まで飛び上がり、そこから、再び、地球に降り立ち、そこで未来の自分と出会い、その人と話をするというワーク。

それを味わったうえで、それをお互いに語り合い、シェアすることで、イメージを明確にしつつ名前を付けたり、感覚を体に落とし込むことで、その後、コーチングしていく上での未来に向けてのリソースにするというもの。

その時、出てきた映像は、高原の中の草原に一軒の山小屋がぽつんと立っていて、その横に降り立った私は、その中に入ろうと、ノックをして、あらわれた未来の自分が、あろうことか、当時の会社の社長だったのだ。

心地よいガイドにそって、その未来の自分に誘われるままに家に入り、ゲストルームにあるソファに座ると前には暖炉があり、薪が焚かれ、部屋は暖められていた。

そして、ゆっくりと彼は座り、ゴルフクラブを磨きながら、未来の自分は、これまでの自分の足跡を語り、そこに訪れた僕にアドバイスをくれたのだ。

「まあ、大変だったけど、何とかここまで来れたよ。」
「そんなに、心配しなくていい。しっかりと進めばいいんだ!」

的なことを穏やかな表情で語るではないか。

でも、当時、私はなんであの社長が出てきたのか、さっぱりわからなくて、
何か自分は相当の野心家で、そんなに出世がしたいのかな?
そんなことなら、何もコーチングに来ることはないのに...、

と、相当困惑して、その後のペアワークでも、そんな人が出てきたなどと、話すことが自分は出来ず、あやふやにシェアをしたことを鮮明に覚えている。

すごいエッジが立っていた。



ミンデルの本を読んで、その夢からのメッセージをどうとらえるか、

今、改めて考えてみると、、、

確かにその会社かどうかは別として、独立を志向した結果、社長になっているということであれば、全然、そのビジョンって、結果的に、そんなにブレずに、その通りに進んでいるじゃないか!

ってことに、今更ながら気づいてしまったのだ。

そして、高原の山小屋に住むというのも、まさに、これから実現しようと模索を現にしているのも驚かされたことだ。

あの時、もっと、このメッセージを素直に受け取っておけば、もっと、この10年の過ごし方も違っていたかもしれない。

たらればで、語ってもしようもないが、何とも考えさせられる。


・・・くしくも9月末。

会社を辞める直前に、全く思いもしないことに、その夢に出てきた当時の社長から、別件で電話がかかってきた。

「君とは、初めて話すよね。今回は引退したこの立場なのに手間をおかけして悪いね。」

だって。

(・・・いえいえ、あの時、あの山小屋で、お話ししましたよ!○○○社長。)

なんて、言ってみたかったな。


あの時の夢が現実世界に、まさに今この(独立へ一歩踏み出す)タイミングで呼び込んだのか?

・・・知る由もない。


夢・ビジョンは現実化する。でも、意味合いをよく吟味することはとても大切なのだ。

困惑しても素直にコーチやカウンセラーに話してみることは大切なことかもしれないね。



2014年11月28日金曜日

関係性へのコーチングを学ぶということ



コーチングを実践するうえで、大切なことはクライアントの持っている持ち味や可能性を100%信じて、クライアントの目指す目標や、その歩みをサポートすることといえるだろう。

私もずいぶんコーチングを受けて、勇気づけられさまざまなことに挑戦し、行動し、結果を振り返って成長を実感してさらなる課題に挑戦してきたと思う。

また、コーチとしても、クライアントのありたい姿やその可能性を認知して、その自分らしさから課題に立ち戻り、今までとは違う、自分を発揮できるよう、チャレンジしていくことを、熱く応援したものだ。

しかし、よくジレンマに陥ることがある。

特に、組織や家庭にかかわり、職場の空気を変えようとか、家庭内の関係を改善しようとする場合だ。

いくら本人が、自分の本来のありたい姿から、他者に影響を与えて、職場や家庭の雰囲気を変えようとしても、なかなか変えられない壁が存在するからだ。
でも、実際には多くの人がこのような壁に突き当たっているといえる。

それは、組織の中に内在する風土や文化、パートナーや家族の持つ固有の価値観といったことからの圧力に対して、個人があまりにも無力であることに依るように思える。

よく、コーチングを習いたての時は、それすらも、自らの無力さによるものと捉えて、何が自分に足りないか内省し、コーチにその気持ちを告げて
認知してもらい、目に映る世界を見直して、別の視点からアプローチをしたりしていた。

しかし、よほどいいきっかけがないと、同じ土俵で、その職場や家庭の関係について双方で、忌憚なく語り合うことってない。

どこか、押しつけになって、かえって壁を作られてしまう。コーチングを胡散くさく思われる瞬間だ。

結局、独りよがりで当たっては挫け、それを続けていくと、コーチング依存症が発症する。
コーチングのセッションが単なるグチを聞いてもらう場に変容するのだ。

私も罹っていた。長患い。そんな自分に堪えられなくなり、いつしか、コーチングから離れた時期があった。いや、今もコーチをつけていない。

本当に自分が心からその課題にコミットできる時期を今は待っている。そうしたら、コーチをつけようと。

そうでないと、何か言わされているような気持ちになり、また、同じことを繰り返しそうな気がしているからだ。

そうならないために・・・

今、自分が注目して学んでいるのが、CRRという機関の提供するシステムコーチングだ。
ORSC(Organizational Relationship System Coaching)の略号でオースクと呼ばれるコーチング。

要するに組織やグループ、家庭やカップルといった複数の人が織りなす関係性に向けて、関わるコーチングで、見方を変えると組織変革ファシリテーションのスキルともいえるものだ。

これまで少しかじってきたユング派心理学者のアーノルド・ミンデル氏の提唱するプロセス指向心理学やグループファシリテーションで提供されてきたエッセンスをきれいにまとめて、体系的にスキルや関係性の診たて方を提供してもらえる。

前から気になる存在であり、いつかは学ぼうと思っていたが、独立に当たって、このコーチングをしっかりと脇に携えながら、個人へのコーチングをすることで、個人への関わりとして、出来る限界を見極められ、その時には、他のアプローチとしてシステムコーチングを提案することも可能だろう。

しかし、いったん、個人にかかわった上で、その人と利害関係のある組織や関係性をシステムコーチングで見ていくと、どうしても、その個人の立場から見てしまい、公平な関わりができない。
関係者には操作されていると感じる可能性があるからだ。

その場合は、別のコーチに実施してもらうというのが、筋だろう。

とはいえ、そのような選択肢を持ち、クライアントができることの限界を感じた場合はきっといい提案が出来る。

コーチとしても、ジレンマに陥らずに済むというわけだ。

ORSCの応用コースはあと残すところ、1プログラムとなった。どの程度、使いこなせていけるか、楽しみなところだ。

そして、そろそろ、コーチをつけて、自分自身も目指す世界へドライブをかけていこう!