2015年1月9日金曜日

関係性がキャリアに及ぼす影響の物語

組織であれ、家庭であれ、人と人との関係性がいろんなところに影響を及ぼしている。


ここのところ、その関係性がキャリアにも強く影響していて、個人だけを対象にキャリアデザインをお手伝いするより、影響を与え合っている相手も一緒に考えることも必要だと思っています。




そんなことを強く思わせるエピソードを紹介したいと思います。




父と娘の物語。


父が描いた夢を、娘が実現することで、お互いを苦しめあい、病んでしまうという物語。


その父は・・・

新潟の山奥の農家の長男としてうまれるも、親と折り合わず、百姓が嫌で、雪深い田舎を家出同然に飛び出す。


必ずや故郷に錦を!という志を胸に、台湾、名古屋、福岡と各地を転々としながら様々な職を得るも、手ごたえを得られず。


同郷でやはり田舎が嫌で、父と密かに約束を交わし、家出同然に飛び出して台湾に頼ってきた母との間に、その娘、長女と長男を生むが、その息子が3歳にして、台湾というなれない土地で、高熱に侵され病死するという憂き目にあう。


失意の中、終戦前に日本に帰国し、その後、もう一人次女を得るが、その青雲の志をどうやら出来のよさそうな、長女に託す長期プランを描いたようだ。


そのために娘に高いレベルの教育を施す。


その資金を稼ぐために10年以上にもおよぶ炭鉱掘りの仕事に耐え、母も郵便局の保険営業員として、生計を支える。


そして、同郷で東京で薬業卸をしている人からのアドバイスを得て、娘を薬剤師にして東京で薬局を開こうという事に。


娘も父の期待に応え、見事に薬科大に進む。まさに、一心同体、逆に言えば、似た者同士。


二人とも頑固者で、これと決めたら突き進むタイプなのです。


娘の薬科大卒業と同時に父は炭鉱堀をやめて退職し、東京の片隅に店舗を得て、晴れてその夢を実現する。


開業後、父はその経営が成り立つか心配。しかし、短気なおっさんが店に出ても返って商売にならず。


営業のうまい母と看板娘に任せるしかない。二人に年中無休を課して、本人は結局裏方に回る日々。


後に、その娘は、無休で働いたのは本当につらかったとよく漏らしていたものです。


その甲斐あってか、無休で地域に薬を提供し、時には夜分子供が熱を出したと裏戸をたたく方にパジャマ姿で薬を渡す姿勢が町内で受け入れられたのか、信頼を得てよく繁盛することに。


その父にしてみたら、本来であれば、まさに故郷に錦を飾った日々だったかもしれません。


しかしながら、結局、それは、経営主体をすべて娘が握ることとなり、父自身はなすすべを失うことでもあったのです。


寂しい隠居生活を余儀なくされ、気持ちがすさみ、荒れた晩年をおくり生涯を終える。


当時は、いつも、外でお酒を飲んできては、娘とケンカをして暴れていた。そんな姿ばかりを幼い孫は見ていたのです。



その娘は・・・


大学に行くと、これまで経験したことのない豊かな都市郊外の環境の中で、視野が広がっていきます。


娘が老いて、昔の思い出を聞き出すと、いつも、この大学のキャンパスの話をしていたものです。


実家の実情を知りつつも、親元を離れ、寮で一人暮らしをして、青春を謳歌し、慕い続けた師や友と語り合った日々は、彼女にとって、唯一の豊かな至高体験だったのです。


しかし、いつまでも、幸せな日々は続きません。


これまで、自分にかけてくれた親からの強い期待を裏切ることはできませんでした。


大学卒業後、慕い続けた大学の師と添い遂げたい想いをあきらめ、父に従い薬局を開局するのです。

本人にとっては、父に従うことに当時、相当の葛藤があったといいます。


実際にその大学の先生に相談していた模様・・・


どんな形がよかったのは、今となっては知る由もないですが、大学に助手として残るなりして、その先生と一緒になりたかったんだと思います。


しかし、卒業して、ちょっとは手習いに修業はしたものの、すぐに開局するとは、相当の度胸と言わざるを得ません。


しかし、それがかえって良かったのか、持ち前の行動力と直感で決める経営センスで、お店を切り盛りしていきます。


そして、婿養子を迎え、子供を3人。


結果的には、一般企業など組織での就業経験もなく、嫁として姑との軋轢を経験せず、父母の支えのもと、自分のやりたいようにやれた人生でした。


そのなんでもほぼ思い通り実現してきた、世間知らずの娘。まさに女帝の誕生です。


子育てを終え、両親を見送り、大方、その役割を終えて、ぽっかりと、心に大きな隙間が出来た時、


私がこれから為すべきことは何か?


と考え始めた瞬間に、


かつて、描いた夢、心の奥にしまって、ずっと犠牲にしていた果たされない夢が、


誇大な妄想となって、自らに復讐しはじめ、取りつかれたように動き始めるのです。


気付けば、無縁仏になっていた師の魂を収めようと思い定め、あらゆる画策を始めたのです。


とても、正気とは思えないけれど、自分の城で、ひとたび、思いこんだら、突き進むようにここまで歩んできたことも災いになります。


そして、気付けば、心の病になってしまっていたのです。


当時、本当に何をしでかすか・・・。


大事にならずに、無事にその生涯を終えられてよかったと思っています。





・・・ながながと、書いてしまいましたが、そうです。これは、私の祖父と母の物語です。




こののち、その娘、私の母は、心の病を抱えつつも、私の父を介護し見送り終えて、その介護疲れとその妄想への執着によって、胃がんとなり手術のため病院に行き、その時に心療内科にも見てもらい、精神安定剤をもらうようになるまで、その妄想の囚われの日々が続いたのです。



どうにも逃れられない関係が及ぼしたそれぞれのキャリア、それぞれの晩年の姿。



この二人の姿を思うたびに、


人として、自分らしいキャリアを歩んでほしい。


誰かの犠牲になり続けて何かをあきらめて生きていると、必ず、反動が来ると思う。


自分らしいキャリアから豊かで健康な晩年を迎えてほしいという願いが出てくるのです。




時代は戦前、戦後、戦後復興期から、高度成長期を経て、バブル後にまでおよぶ。


裸一貫で田舎を出て成功するために、お互いの犠牲なくしては、豊かにはなれなかった時代のなせるわざと言えなくもないでしょう。



「逃れられない関係性」がそれぞれのキャリアの達成感を毀損させ、かつ、たがいを傷つけ続けたというエピソード。




あなたも、誰かのキャリアや人生をコントロールしようとしていませんか?


あるいは、


あなた自身が、誰かのために犠牲になりすぎていませんか?




いずれにしろ、かならず、その周縁化した思いは、あなたに逆襲を仕掛けてきますよ。




最後に実家を片づけていたら、
祖母が小箱の奥にひっそりとしまっておいた台湾時代の唯一の家族の写真をつけて彼らの成仏を祈りたいと思います。

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