2014年11月26日水曜日

日本プロセスワークセンター「ワールドワーク レベル3」に参加して



人の成長や変化を規制させているものは何だろうか?

それは、環境や周りの人のせいではなく、実は自分自身の中にあるのに気づいていない自己、あるいは、自分の見たくない感情を揺さぶる存在に対する自分自身の態度そのものが、成長を阻んでいる。

それを図らずも、直観した三日間だった。

参加した目的は、これから人のキャリアや組織にかかわるコンサルタントとして、今後、実施するであろう研修やワークショップでの場づくりにおけるファシリテーターとしての自分自身の器を広げるためといえるだろう。

そして、自分のファシリテーターとしての器を広げるためには、自分自身の多様性に気づくこと。

頭の中では、わかっていたような気がする。

アーノルド・ミンデルの「ディープデモクラシー」を読み、まさに、ワークショップの場で起きてくるファシリテーターの葛藤は、大きく場に影響を与えるのだと。
そのためにあらかじめファシリテーターは自分自身の中の多様性とインナーワークをすべしと。

今回のレッスンでは、ファシリテーターとしてワールドワークの場に立てたことで、直接、ファカルティからフィードバックを得られることが出来、技術的な面での大きな学びにつながったことは確かだ。

しかし、それと同時並行で、積極的に参加者側として、ロールを買って出て、さまざまなロールからの声を発していくことで、参加者側に起きる意識変容を感じ取ろうとしてみた。
そして、そのことから、図らずも自分がこれまでずっと葛藤してきたエッジフィギアとこれからさらに避けられないであろうエッジフィギアを見出すこととなったのだ。

結果的に、そのことがファシリテーターとしてのスキルを向上させるという面以上に、今回、自分自身にとっては大きな学びにつながったといえるだろう。

一つ目のエッジフィギアとは、すでにこのレッスンが始まった時点から、すでにその関係性が生まれ、その時点で、すでに布置されていたのだ。

そして、その関係性が二日目の最後のワークの時に起こるべくして起こった。

途中までは、とあるテーマでのロールを取ったはずなのに、途中から自分とそのエッジフィギアとのエッジを超えるためのそれぞれのインナーワークとなっていたからだ。

まさに、ここ何年かの間、自分の中でささやかれていた声がリアルにささやかれ、いつの間にか場のロールから自分事に変容し、そのロールをとった側も、すでに何かを感じそのロールの中に自らをゆだねていたのだ。

ロールは言う。
「もっと、邪魔していたいよ。なんか、かまいたくなるんだよ!」
僕はといえば、
「そうか、邪魔していたかったんだね。まさか、そんな風に思っていたなんて思わなかった。きっと、君は自分を陥れるすごく恐ろしい存在だと思い込んでいた気がする。だから、場に君が見え隠れすると、見ようとしないで排除して先に進もうとしていたんだ。そんな、君に気づかなくて悪かったね。
でも、君がいるからこれまで何とかここまで生きてこれたことも忘れない。有難う!」
「そんな、感謝されても困ってしまう。そして、なにか寂しい気がするよ。」
「いいんだよ。そこにいてくれて。
また、思い切り引っ張ってくれればいいよ。そしてこれからも一緒に進もう。そして、もう、僕は君を邪魔者扱いしないよ。」

すでに、会社を辞めてこの場にいる時点で、このエッジは超えていたものでもあるので、自分自身にとっては、これまでその存在に感謝をして、また、一緒に歩いて行こうと許せる存在であることに気づき、しっかりとエッジを超えた自分を感じ、統合して完了することが出来た。

初日から、すでに関係性がおき、ロールを取ってくれた彼に帰りがけに心からお礼を言った。

そして、彼もいっしょにワークすることで自分の中に自分事として何かを受け取ったとの言葉をもらった。
図らずも、握手しての別れ際、「頑張ろうね!」と、ある病気を持つ人には、言ってはならないワードで励ましてしまったのだが、そこには、あの場を一緒に体験したからこそ、互いに頑張ろうといいあえる切なる思いから出た言葉だったのだと思う。ごく自然に受け取ってくれた。

それぞれにそのエッジフィギアとこれまで戦って来た者同士として。

最終日は、自分自身はすでに何となく完了感があるのと、寝不足からくる倦怠感から、距離を置いて参加する予定だった。そう、あくまで予定だった。

しかし、その新たなるエッジフィギアが出現したとたんに、自分の中で、もう何もエッジはないと思っていたことが、やはり幻想でしかなかったと気づくはめとなった。

何となく、当初から気になっていたその人がそのロールを取った途端、
激しく、自らもロールをとって、相手のロールを攻撃し始める私。
場自体も、もはや、ロールをとっていた人たちが個人の問題を扱い始めていたことで、一気に私の中もロールから個人の問題へと遷移していたようだ。

しかし、今回は自分のところで立ち上がったホットスポットにファシリテーターは気が付いていたようだが、メインのスポットに焦点をあてたことで、そのままの状態となり、私の中で起きていることに自分で対処しなければならないこととなり、その場はお開きとなった。

自分の中に湧き上がった、この反応への動揺とそれへの自覚。
                         
これからの向き合わなければならない葛藤はこれか!との思いがめぐる。

休憩時に先に帰る彼が僕に手を振ってくれた。
僕は寄って行って、
「今日は、ロールをとって出てきていただき有難うございます。おかげで、気づくことができました。」と彼にお礼を言った。
すると、彼もどうやら僕の中の反応に気が付いていたようで、
「私もずっとその問題については、取り組んできているんですよ。なかなか、難しいよね・・・。開業するんでしょ!ぜひ、頑張ってください!」
との言葉を頂戴することに。

最初、したり顔でコメントする彼を似非エルダーだと思っていたが、どうやら、あえて葛藤を引き起こす新手のエルダーのようだったのだ。

「見たいようにしか人を見ていない」
ことを反省すると同時に
「自分自身に自覚的である」
ことの大切さを実感したわけである。

ふたつのエッジはこれからも僕の中に居続けてくれる。ひとつは仲良しで。そして、もう一つへは、これから、さらに向き合って統合していくことになるのだろう。

私の中の多様性に気付くこと。そして、それを自覚し、意識的に統合すること。
                                        

これからも、これらとともにあらんことを願う。

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