2014年11月27日木曜日

自分自身の多様性を感じてみる

組織の問題ってさまざまなところに存在していますね。

先日もお話を伺った方が、事あるごとに
「いや~、ウチの組織は全く機能していない。何せトップがねえ~。」
という感嘆文を差し込んでは、悩ましい顔をしていた。


過去に自分が見てきた組織と比較をどうしてもしてしまい、批判的になってしまう様。

「ある心理学の考え方では、そう見えている先方の姿の中に、自分が、あまり受け入れたくないと思っている自分を投影している。と診ているそうですよ」

「・・・?。」

「もしかしたら、今はたまたま、それを批判する側に立っているだけで、ひょっとして、その立場に立ったら、同じようにふるまう自分がいる。自分にもそういう多様な要素があると診てみるんですって。

自分にもそういう部分があるとして、もしも、それが自分にとって、これまで役に立ってきたとしたら、相手(=投影された自分)に対して、どんな気持ちになりますか?」

「でも、そうだとしても、それでどうすればいいんだ?」

「批判的に感じている自分も、投影された自分も、同じ、自分自身で欠かすことのない存在で根っこはつながっているのだと、統合して感じてみるんですって。」

「何か悲しい気持ちが湧いてきた・・・」


・・・返って、相手の方を混乱させてしまったかもしれない。


でも、その視点にたってみることは、この方にとって、きっと、必要なことだったのだろう。
そして、その知らせを届けたのが、たまたま、私だったということ。


しかし、そういった時点で、何かその方と私の間に距離が生じてしまったのではという恐れが私の中でうずめいてくる。

そう、それが私の中で前進を阻むもの(エッジフィギア)なのかもしれない。

お知らせ係が常に背負ってしまう、「知っている人」になって、周囲から距離を置かれてしまう孤独感。

ただ、振り返って、今回のケースを考えると、これまでのように知ったことをひけらかす様な、振る舞いでなく、心からその方の苦悩に共感する中から伝えられたと思う。

そうでなかったら、そんな知識を伝えることもなかったでしょうし。


そういう相手とダンスする感覚で伝えていくというプロセス。


すこし、出来たのかもしれないし、やはり、出来なかったのかもしれない。


まあ、今日は前者を尊重してその感覚を感じてみるとするか。

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